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あの町の、うなぎ屋のおじさん

夏。お盆期間が始まる。

小さい頃から、じいちゃんの会社の小さい事務所に、たくさんの様々な職業の人が出入りしていた。みんなじいちゃんと話しに、お茶を飲みに、遊びに来ていたのだと聞く。そんな明るく愉快な大人たちから、ご先祖様の生前の話を聞いて育った私は、「人は死んでいても生き続けるんだなぁ」という感性が幼心に培われた。

死んで体がなくなって尚、残り続けるその人の記憶が生きた証なのだと思う。楽しく、たまに切なく、生きている人間で語り合うことが、この「盆」という期間の醍醐味なのだと思っている。そしてその語り合った、集った時間が、また語り継がれる記憶の一つになってゆるりと優しく次の世代の「あのとき」へ紡がれていくのだと思う。

亡き人を偲び、生きている人間で集い、当時を語り合い、語り継ぐ。
夏の空の持つ独特な雰囲気は、まさに「お盆」を象徴している気がする。



夏のある日やお祝い事に、よく家族でうなぎを食べた。
父の実家の近くにあった、うなぎ屋を主とした割烹料理店だった。
お刺身や茶碗蒸し、鯛煮込み、にこごりと、どれも逸品で、なぜこんな田舎町にと思うほど圧倒的に美味しかった。気を衒わない、町に馴染んだお店だった。

長年使った配達用の木箱にはお店の名前が刻んであって、渋くてとても格好良かった。ふっくら焼かれた鰻は、見ただけで丁寧に焼かれたことが分かる。食欲をそそる甘いタレがたっぷりとかかっていて、思い出すと幸せな気持ちになるほどである。

本人はあまりおしゃべりではない寡黙な職人さんで、でも近寄りがたいタイプではなかった。何かの時には、うなぎと合わせてお酒を持ってきてくれたり、人情の人だった。

その鰻は、屋号の由来で私の祖父であるきみおさんも食べていた。その妻であるばあちゃんが生きている間に、ばあちゃんと一緒に食べた。家族のお祝い事でよく食べた。親戚の集まりでも食べた。両親の結納もそこで行ったと聞いた。昔ながらの急な階段で、酔った何人かが落ちまくっていたという笑い話も聞いた。
このうなぎ屋は、いつの間にか、私にとってあらゆる記憶を繋ぐ大切なお店になっていたのだ。

そのうなぎ屋のおじさんが、この間の冬になくなっていたと聞いた。
きみおおじいちゃんのお墓参りで、水汲みを父としていたときである。

夏の照りつける暑さの中で、夕方の少し涼しい風がお墓の裏の稲穂を優しく揺らしていた。うん、こんな日は鰻だ。「あぁ、うなぎ食べたい。」と水汲みをしながら呟いた。父は「冬に亡くなったんだって」と言った。確かに、最後に見たときは「いつまでこの鰻が食べられるかなぁ」と思う雰囲気があった。ずいぶん高齢でもあった。

お墓を掃除したり、お花やお線香を準備していた母と姉もそのうなぎ屋さんの話をしていたらしい。

やっぱりこんな日は食べたくなるのだ。あのうなぎを。
「あー、うなぎ食べたい!あのうなぎが!」と言いながら手を合わせた。
きっとじいちゃんもばあちゃんもそう思ってるだろう。
うちの人はみんなあのうなぎが食べたいのだった。

きっとこんな記憶が、一番の弔いなのだと思う。
親族でも血縁関係もない。
私は、ただ、そのうなぎを食べて育ったどこかの娘である。
でも、おじさんのうなぎを介して、家族の優しい記憶を紡がせてもらった娘である。「あぁ、わたしはこんな風に記憶を紡ぐお菓子屋になりたいよ」としみじみ思った。

今度地元に帰ったら、店の前でそっと手を合わせようと思う。
「あんた誰」って言われそうだけど、感謝している。
人は死んでも、生きた人間の記憶の中で、ずっと生き続ける。






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