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私にとってSNSとは


Twitter やこのNoteでも「相互フォロー受け付けます」とか、「フォローバックがない」という発言をみる。
私は何でフォロー、フォローバックをしなければいけないのか正直わからない。

私はフェイスブックもしている。登録することで遠く離れた友人が「今こういうことやっているんだ」ということを知ることができるようになった。残念ながら、うち1名がア●ウェイでウェーイな写真をあげてくることと、転職を考えてくることをいうと、なぜか誘ってきて同時進行にLINEでみんな「あいつと会うのはやめておけ」と必死に止めに来てくれた。いや、全然断る気だったんだけど、まぁ友人たちの心配は嬉しかったよね。ウェーイはうざいのでミュートにしているけど 笑

フェイスブックは顔見知りのみであるが、Twitterはそうではない。完全に匿名だ。匿名であるはず、である。だからこそ、繋がりは一からになる。私はツイッターではその匿名性を利用して、職場の不満や婚活のことなどをぼやいてきた。特定されないように写真にも配慮したし(●岡県民であることはバレていると思う笑)その職業も具体的にばれないようにはしている。
そして、医療関係者とお思われる方のアカウントをフォローし、アカウントがつぶやく情報をチェックしたり、Rtで回ってきたツィートが面白く、ほかのツィート興味があればそのままフォローするので、フォローしている方は結構いる。しかしフォロワーはその1/4くらいである。しかもほとんどのフォロワーがBotだったりするので、実際のフォロワーはもっと少ないかも。
だからといって、それが苦痛や不安だとも思わない。自分はただ、ツイッターという「井戸」に向かって自分の思ったことをつぶやくだけだ。その井戸が色んなところに響いてそれを聞いただれかが一人でも共感してくれたらいい。くらいの感じなのでいいねが1個ついただけでも嬉しい。むしろ、Rtが増えると怖いのだ、バレたくないから 笑 なお、先日αの方が2〜3名私をフォローしてくださったので、ボタンの押し間違いではないかと、何度もチェックしている。

SNSは面白い。本来繋がるはずのなかった人と繋がることができるし、色んな価値観とも巡り会える。中には、ちょっと考えが私ととても合わない価値観をお持ちのかたがいて、そういうかたはブロックしたりミュートで対応している、それは便利な機能。SNSのよいところは、情報を取捨選択することができ、選択してよいのである。興味があるアカウントはフォローし、興味がないアカウントはフォローしなくてもそれを選ぶのは自分自身なのだ。

で、なぜ私は呟いたり、Noteを書くのだろう、ということをちょっと考えた。
認知療法として日記書くことは有効だ、しかし私は今、手帳を日記帳にして日々のできたことやできなかった理由と対策を書いている。わざわざネットにあげる必要ないよね、と思ったら段々とあげる回数が減ってきた。というか、現実世界で色々やることがあって書く時間がないのも理由だ。じゃあ、なんではじめたんだろう?私は最初何で始めたんだっけ?ということを思い出したのである。

共感してほしかったんだと思う。

コメントがなくても「♡」がつくことで「ああ、気持ちわかってくれたのか」と共感してもらえたことが嬉しかった気がした。
だから私自身も、よく読んで、共感できた内容には「♡」を送らせてもらっている。ツィッターは140文字という制限があり、すぐに読んで反応を示せるのだがNoteは文字数が多い。だから読むには時間がかかることもある。それでも読むのは、自分自身が文章を書くことに時間を割いているからだ。それでも共感できない、もしくは興味のない内容であれば私は♡は送っていない。だから時々ノートをあげた瞬間に♡が送られると複雑な気持ちになる。この♡は「あとから読むね」という意味なのか、読まずにただ♡が送られたのか、と。

ちょっと自分自身も何気なく流されてやっていた部分があるため、
もう一度フォローを見直してみようと思う。

これからの働き方を考えながら、働くのをおやすみしています。 サポートしていただけたら、ちょっとお菓子、買ってもいいですか☺️