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”あなたのため”という名の「自分愛」が人を疲れさせる理由

みんなのために!
そう言って仲間内のイベントなど頑張ってくれる知人がいます。
(仮にその方をXさんとお呼びします)

そのXさん仕切りの場にいると、なぜか心が疲れてしまう……
という謎なことが起きるのです。
それも一度ならず、複数回。

Xさん、とても献身的な人です。
手間暇もエネルギーも惜しまず、全力投球。

そして、目をキラキラさせながら言うんですよね。
「ね、ね、どう?どう? 準備頑張ったのよ~!」

はい、そうですね。それはもちろん十分にわかります。
当然、参加メンバーは皆で口をそろえてXさんに感謝し、その仕事っぷりを褒めたたえます。

それが悪いわけじゃないんです。
でもね、それって
疲れる(-_-;)

なぜかなあ、と、先日同じことが起きた後、考えてみました。

そこで思い当たったのが、
Xさんは「みんなのために○○するわたし」が好きなんだ、
と言うこと。

みんなを喜ばせたい、楽しませたい、という気持ちに嘘があるのではありません。
それが、第一義の目的、めざすものではない、と言いたいのです。

それは言うなれば通過点。
やや厳しい言い方をしてしまうと「手段」なんですね。

最終的に求めているものは、つまり上に書いたこと。
「みんなのために○○するわたし」
を達成したいのだろうな、と言うことです。

   * * *

では、なぜそれだと私は疲れてしまうのか?
(私は、そうですが、他の人はそうではないかもしれません)

そこで、思い出したことがあります。
今は亡き母親のことです。

まだ子供だった頃、我が家は決して豊かではありませんでした。
恥ずかしくないレベルの生活はできていましたが、余裕はゼロ。
欲しいものを買ってもらえるのは、誕生日とクリスマスの年2回のみ。
おかげで、あまり物を欲しがらない人間に育ちましたから(笑)そのことに何も不満はありません。

でも、年2回しかないプレゼントは、子供にとって重大イベントです。
それなのに!ですよ、母はそこでやらかしてくれるんですね。
「きみこはこれが欲しいだろうから、買ってきてあげたよ」と言って、わたしが欲しがってもいないものをくれるんです。
(こういう誤解・思い込みを母はよくやりましたね)

もう、言葉も(涙も!)出ませんでした(>_<)

でも、母はプレゼントの包みを開けて呆然としている私を見て、にこにこ満面の笑み。
「どう、うれしいでしょ、良かったね」という心の声がダダ洩れ状態。

子供って、親の感情に対して敏感です。
親の顔色を読みます。
ある意味、死活問題ですからね。
これを本能的に常にやっています。

なので、幼い私は(心の中で泣きながら)口では「ありがと!すごい!」なんて言って、母をいっそうニコニコ幸せにしていました。

自分の事ながら、健気すぎて、泣けてきますね(涙)

   * * *

母は、なんとも無邪気と言うか、幾つになっても子供っぽい人だったんですね。
今だから、わかります。
毎日身を粉にして働いていても、娘のためにステキなプレゼントを用意して喜ばせる母――を味わっていたのだろうな、と。

喜ばせようと思ってやっていることは子供心にもわかります。
でもそれ以上に強烈な、そんなお母さんを褒めて!というダダ漏れのアピール。

そんな無邪気な要求に懸命に応えていた幼い私よりも、母の方が子供だったかもね、と、今は笑って思い出せます(^^;

でも、その当時は、とても複雑な心境。
二つの相反するものに引っ張られているような感じで、とても苦しかった。

大事にされているのかいないのか、喜ばせたいのかそうじゃないのか。
相反する二つの行為を同じ人から受け取るわけですから。
子供にはとても理解できません。

人に対して何か提供するとき、その行為を純粋に相手のためにするのと、その行為をすることで自分が相手から評価されたいからするのとでは、実際にやっている行為は同じであっても、受け止め方が違ってきます。

感謝を要求されている、と言う無言の圧力を感じると、好意も素直には受け取れませんよね。
求められている何かを返さなくてはならないと、無意識に感じますから。

   * * *

で、最初に登場した知人Xさんのケースは、まさにこれだったわけです。
だから、なんとなく無意識的に疲れてしまったのでしょう。

だからと言って
「人のために事を為す時には見返りを求めてはいけない」
などと言うつもりは毛頭ありません。

人は神ではありませんから(笑)
誰だって人から認められたり、感謝されたりするのは嬉しい。

でも、何が第一目的なのか、それをすることで自分が本当に求めているものは何なのか、について、自覚的であることはとても大切だなと考えます。

無自覚にやっている無意識的欲求は、人間関係を歪ませる原因になります。

だから、それを自覚する。
そうすることできっと、悲しい食い違いが起きることが減ります。

見返りを求めない行為・好意に対して、人は素直に感謝の念を抱きます。
それが人の心の自然な反応です。

そうした経験を重ねていくと、無意識的な承認欲求は消えていきます。
感謝や承認は、求める前にすでにあなたに与えられているのですから。

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