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人はどんな時に優しさを身に着けるのだろう

「この首のしこりは、何?」

19歳の夏、鹿児島の片田舎にある実家に里帰りした時に、腰痛を診てもらった整形外科医からそう言われた。

数年前からしこりが首にできていたのだが、初期に相談した病院で「心配ない」と言われたので放っておいたのだ。

ここ数年でだんだんと大きくなってきていた。

ちゃんと見てもらいましょう、ということで、鹿児島市内の病院に入院して検査をすることに。

そこの先生が、「まだ若いから大事を取って」ということで、今度は東京の病院へ。

どんどん病院が変わっていく。

東京の病院の名前は「がん研究所附属病院」。

えっ、どういうこと?

がんなの?

大塚にあるがん研病院で検査をした結果、がんではないが、放っておくと脳や肺に転移してしまうこともある「軟部腫瘍」と言われるものだと言われた。

手術を受けた。

僕の右の僧帽筋は全て取り除かれた。

ひと目で見てわかる、首の後ろの大きなへこみ。

右肩は全く上がらなくなった。

しかし、手術後の3週間の入院で、自分の症状は軽い方なのだということを知った。

全国から、手術が必要な人たちが短期入院で入れ替わり立ち代わりやってくる。

そうか、ここは腫瘍のメッカなのだ。

相部屋で向かいのベッドに入ってきた30歳くらいのお兄ちゃんは、片足を太ももから切り落として退院していった。

横のベッドのおじさんは、背中の筋肉をごっそり切除したとかで、手術の夜は一晩中うめき声をあげていた。

隣の部屋に入院した、まるまる太ってころころ笑う小学生も、ひざから下を失って杖とともに病院を出ていった。

出会う人がみんな、自分の身体の一部を病院に残して去っていった。

退院後半年ほどは、右手が不自由で苦労した。

試しにボールを投げてみたら、数メートルしか飛ばない。

みじめで泣きそうだ。

入っていた体育会の部活は、辞めた。

しかし、身体はよくできたもので、他の筋肉がだんだんとカバーしてくれるようになってきた。

日常生活はどうにか支障なく送れるようになった。

その後、社会人になってミュージカル劇団に入った時に、ダンスレッスンで先生から酷く叱られたことがあった。

筋肉がまるっとないため、その筋肉のみに頼らざるを得ない特定の振付がどうしてもできないのだ。

先生には事情なんてわからないから、「どうしてできないの!」と声を荒げる。

説明してもしょうがない。

すみません、とだけ言って、あとは唇を噛むしかなかった。

辛いこともあったが、病気のことを恨んだり、劣等感として引きずったりすることは、今ではほとんどない。

がん研で出会った、僕よりもっと大きな部位を失い、大きな悲しみを受けた人たち。

僕自身はわずかな代償で、その人たちを間近に見て、当事者の痛みを知ることもできた。

そんなありがたい経験をさせてもらったと思っている。

人生には、望まない出来事がある。

心身の病気や家族トラブル、災害や事故。

克服したところで、華々しい成功には結びつかない。

でもそういう経験でこそ、人は優しくなれる。

似たような立場の人の気持ちが、ぼんやりとでも、わかるから。

理屈じゃない、肌感覚で。

強さやたくましさが社会の土台を荒々しく作っていくのだとしたら、そのすき間を静かに暖かく満たしていくのは優しさだ。

僕はそんな優しさを持つ人に惹かれる。

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