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帰国しました

ひっそりとカンボジアから日本に帰国しました。仁川経由で。

「イェーイ、無事に日本に帰国出来たー!」

開放感と安堵感で一杯。

つい一週間前は「これ、暫くカンボジアで本当に軟禁じゃね?この先いつ日本に帰れるんだ……」と、内心かなりビビってました


なぜならカンボジアは「ロックダウン」真っ只中なんです。


ロックダウンって、今まで日本に住んでいる感覚だと「緊急事態宣言に近い感じのものでしょ…?」位のイメージでした。が、いざ海外滞在中に突然、政府がロックダウンを制限すると、予想以上に生活に支障が出てきて、精神的にダメージが積ってました。


「あ、これは思っていたより深刻な状況だわ。」



今年の1月にカンボジアに入国した時点では、カンボジア国内のコロナの被害状況は、日本やヨーロッパと比べると軽微でした。陽性者の累計が数百人程度で、死者も無し。


「日本にいるより、カンボジアにいる方が安全じゃない?」


完全にたかを括ってました。


状況が変わったのは、2月に入ってから。


「カンボジアに入国した数人の中国人が、ホテルスタッフに賄賂を渡して、隔離中のホテルから脱走しました。」



流石、中華人民共和国 カンボジア省。日本人とはやることが違う。ただ100歩譲って、まだわかる。金を払うことで期間が短くなるファストパスに近い感じかな(勿論、良くないけどさ



数日後



「中国人が脱走した先でコロナのクラスターが発生。中国人、カンボジア含め数十人のコロナ陽性者が発生しました。」


いや、もう、全然分からない。爪が甘い。というか、脱走するならせめてひっそりと身を隠してくれ。脱走した先で騒ぎ立ってコロナにかかるとか勘弁して下さい。



結果、会社から出張者はプノンペン市内に出かけることを禁止しました。


3ヶ月カンボジアにいたけど、プノンペン市内に出かけたのは4回のみ、内2回はPCR検査と検査結果を取りに行くだけ。なので、プノンペンの思い出ははイオンモールに行ったことが印象的でした(棒読み


また政府は、クラスターを受けてカンボジアのほぼ全ての地域の商業施設、飲食店は全て20時で閉店になりました(コンビニ、スーパーも例外ないよ)


1ヶ月後には、あれよあれよと陽性者が増加。日に数十人、多い時は100人を超え、ついに死者も出てしまいました。


3月に入ると、プノンペン市内から車で1時間離れた弊社が位置する工業地帯にも陽性者が発生。



4月の中旬、政府が業をにやして、ロックダウン発令。このロックダウンの中身が、人々の生活にとってはなかなか厳しい。



ある時、会社に出社すると、数名のカンボジア社員が始業時間になっても現れてこない。


他のカンボジア社員に「彼女は今日は休みを取ったの?」と尋ねると


「昨日の夜、政府がロックダウンをしたから、住んでいる家から出れなくなっちゃった。だから、いつ会社に来れるか分からないわ」
 

「何それ、そんなことあるの!?」


「政府がそう言ってるから。仕方ないよね」


ロックダウンの一つとして、政府がプノンペン市内の指定区域内のから外出禁止と夜中に突然発令したみたいで。運動、散歩、買い物も禁止
(日本大使館からの情報をそのまま掲載しています)


カンボジア政府、容赦ない。


ちなみに、カンボジアの女性社員は今もなお2週間以上自宅で待機してます。この先、4月末まで自宅待機(会社にPCを取りに行くことも出来ないので、まんま自宅待機)



なので、政府が物資を各家庭に物資を支給したり、デリバリーサービスを利用してなんとか凌いでるそうです。


二つ目、指定区域内の市場、食料品店を含め全ての業務は停止すること。これがかなり厳しい。操業が認められているサービスが電気、水道、ガス、ネット関係のインフラ企業、消防、医療(病院、薬局全般、食品製造会社。


ウチはメーカーなので、もちろん操業停止対象。お偉い方が政府に「操業させて下さい」と嘆願書を提出、交渉した結果、操業を継続してます(ただ周辺の企業の大半が操業停止中とのこと)

PCR検査結果をプノンペン市内の医療関係機関に取り行った際に、近く散歩しましたが周辺のほぼ全ての店がシャッターもしくは門が閉じている状態。

なかなか深刻な状況だなと感じた瞬間は、ホテル併設のレストランに出前を頼んだ時。
(本来、レストランも休業対象だけど、ウチの社長が直接レストランにお願いして、なんとか継続してるとのこと)


スタッフが料理だけ渡して、お金を受け取らない。


理由は「銀行が本店以外全ての支店を操業停止しているので、お金を下ろせない。だから、ロックダウンが解除したらまとめてツケ払いで請求します。」とのこと。

カンボジア政府の力の入れ具合が徹底さを感じるよね。日本で言うと、東京三菱UFJ銀行の丸の内にある高層ビルの本店だけ営業して、それ以外の支店、ATMは全部操業停止する感じ



3つ目は道路封鎖。主要道路の途中や交差点に検問が用意されたり、小道がロープや柵が設置されたこと。

上記のインフラ関係や医療関係の車両以外は通行証明書を検問に提示しないと通行出来なくなりました。

車の中からこそこそ撮った写真(きっと、気づかれると怒られるやつ)


また一部の人にとって、かなりキツい制限が「全てのアンコール飲料の販売禁止」

これはホテルの売店の様子。ホテルも例外無く販売禁止。


ウチの会社の飲兵衛さん達はかなりの死活問題


そんなこんなロックダウンが、カンボジアで4月末で継続予定です(延長の可能性もあり)

これ以外に
•PCR検査希望者が急増し、PCR検査の予約が取れないと耳にする。
•ウチの会社のカンボジア社員の家族に陽性者が発生、社員全員が自宅•ホテルリモートワークを実施
•日本政府が突然、PCR検査基準を厳格化、現行のカンボジアの検査方法では基準を満たせない。結果、日本大使館から日本への渡航を延期することを勧められる

などなど帰国予定日10日程前にロックダウンが発生し、色んなイベントが目白押しに発生。


「あ、これ、日本に帰れないやつだわ……」


本当にこの時ほど焦って仕事に集中出来なかったことはない。

「なるようになる!」って最初は考えていたけど、残念ながらそこまでの心の余裕は持てなかったなあ。

焦り過ぎて、上司に「今後暫くはコロナ禍での海外出張は控えさせて欲しいです」とメールで思わず懇願しました…

結果なんだかんだ、会社の方々のご尽力のおかげで、なんとか帰国の途にありつけました。



今考えても、ロックダウン中の海外出張はなかなか辛い。ただでさえ日本やカンボジアに入国する度に、PCR検査を受けに行ったり、コロナの保険に入ったり、入国審査のために沢山の書類したり、ホテルで2週間隔離をしたりと、まあ面倒臭い。

今回、3ヶ月間だけの海外出張でしたが、体感的に半年は経った気がします。「えっ、まだ3ヶ月しか経ってないの?」という感じ。

よく海外留学に行くと「あっという間の半年、一年だった。もっと留学し続けたい〜!」とか言う人(自分も)いますけど「日々、仕事も生活も変化がありすぎてもうお腹一杯……」

このカンボジアの海外出張で大分精神力は鍛えられた(気がする)。忙しくてもなんとか身体を休める気概と姿勢は身についた。

ただお世辞にも仕事が出来たと言えない。毎日くたくたになって帰宅して、起床しても頭が全く回らない時もあり、そのま仕事を休んだり。忙しくなり過ぎて、一部の仕事で同じミスを出張最終日の終業直前に三度の失敗を発覚したなどと、まあ酷いもん。

しいて言うと、カンボジア人と英語で仕事を進めれたことは良い経験でした。

カンボジア人の同僚は優秀な人たちが多く、非常に恵まれました。彼女らに仕事の目的とやり方さえ何回か説明すれば、時間さえかかるけどミスも少なく進めてくれるので。

30歳の自分よりも、20代のカンボジア人同僚の方が非常に優秀でした。

優秀な日本人の先輩、上司、カンボジア同僚に囲まれていたおかげで、なんとか3ヶ月間の切り抜けられたと言う感じ。3ヶ月間、カンボジアでのメインの業務は半分以上カンボジアの同僚に業務の依頼、説明、英語が苦手な日本人とカンボジア人を仲介しただけなので、本当に感謝してます。


また今度カンボジアに出張に行く時はせめてコロナが収束してからにしたい(すみません。他部署の先輩、上司の方々が5月末、6月まで出張を延長された一方で、私はお先に日本に帰らせて頂きました……)


そういえば、カンボジアにいる間は全く日本のニュースは見ていなかったけど、年明けから3ヶ月も経過すれば、そりゃあ日本もコロナも落ち着いていますよね…?(棒読み

おまけ
夜21時頃のプノンペン国際空港
深夜のフライトに乗るため、50人程集まっていました。

免税店、スタバの様子
人は全くいないけど、通常通りお店が開いているのが若干気持ちが悪い(空港内は治外法権なのか、スタバも開いていた

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