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エッセイ:劣等感の薄皮を1枚ずつ剥がしていく。

劣等感の塊だった僕。才能あるヤツを妬んでいた僕。

人間関係は老若男女・誰しもがぶち当たる悩みだ。組織勤めだろうがフリーランスだろうが、人間関係の悩みは常について回る。

友人がべらぼうに多いと思われている私だって、それなりに悩みはある。好きとか嫌いとかの次元でなく、例えば仕事の進め方の考え方とかテンポとか、テキストコミュニケーションの価値観の違いとか、恋だの愛だのを語る時間にかける具合とか、仲良しさんでもそうでもない人でも、どんな人に対しても関係性についての悩みはある。尽きることはない。

放送作家の駆け出しのころ、ある大御所作家が自信の著書かなにかで書いていた一文が、やけに印象に残っている。

「放送作家のいいところは、好きな人だけ仕事ができることだ。嫌いな人とは仕事をする必要がない」

当時は「へーそうなんだ。そりゃあ最高じゃん」と28歳になったばかりの新人作家だった私はいたく感銘を受けたが、1年もすればとんでもない大嘘だったと気づく。「圧倒的な実績と才能があるから言えるセリフやんけボケ!」と文句をたれながら、番組企画書をせっせと作り、ニュース原稿を編集する日々を過ごしていた。

先日、福岡のテレビ局の部長さんと、元東京のテレビ局社員で現在は福岡の大学で教鞭を執っている先生と会食をする機会があり、当時の仕事現場、つまりはテレビ局に出入りしていた頃の話を久しぶりに展開した。

ひたすら人間関係で悩んでいた頃だ。この世界で果たして自分はやっていけるのだろうかと、自問自答していた時期。

週5日のシフト制で月に160時間くらいは行っていて、派遣社員で来ている先輩編集マンやテレビ局員に厳しく指導された。当時はテレビ局で働くのはまだ花形で、殆どが六大学やそれに準ずる大学を出た人ばかりに囲まれていた。

こっちは高卒のフリーターバンドマン崩れ。何気に「大学、どこ?」と先輩や局員に聞かれたとき、「あ、高卒ッス」と返すと微妙な雰囲気になるので、そのあとすかさず「高校出てからバンドデビューしたくてバイト三昧だったんです。だから大学には行かなかったんです。」と言葉を紡ぎ、変わったエピソードで興味を関心を持ってもらった。実際は大学に行く金が木村家になくて、奨学金使っていくほど成績が良くなくて大学にいく「資格」がなかっただけの中途半端なエピソードがあるだけだけど何か?

「僕はエリート集団と違って、雑草の中を生き抜いてきたんだぞ」と心の中で抵抗していた。向こうが長嶋茂雄なら、こっちは野村克也。月見草を実際に見たことはないけど、月見草のような存在に憧れた。

とにかく僕の人権は、ほとんどない現場だった。AD並みの人権。2000年代後半から10年代前半で、ネットでテレビニュースを見るなんてあり得なかった。そもそもガラケーだから画面が小さいし、動画はパケ代を食ってしまって、再生するに至らない。そんなネットニュース編集の現場で「テレビは王様」と言わんばかりのプライドがやたら高い人たちに向き合って、「この原稿、中身間違ってないすかね?」と他局のニュースを2〜3つ比較して取材部のデスクに指摘しに行っても「はぁ、私たちの原稿が間違ってるとでも言いたいの?」とけんもほろろな状態。「はい。そうですよ」とは面と向かっては言えないので、上司の局員に何十回も掛けあってもらったな。感謝しとります。

そんなデジタル<<<<<<テレビのヒエラルキーは2024年になり、テレビ<<デジタルになり、自分がいたテレビ局のニュースYouTubeチャンネルは登録者数200万人を超えている。僕が現場を離れた2019年秋時点でチャンネルすら立ち上がってなくて、マジ終わってんなと思ったけど。マジで僕を虐げた連中全員木綿豆腐の角に頭ぶつけてしまえ。

この当時に一緒に仕事をしていた人は一切連絡を取っていないし、取る気もない。SNSではなんとなくつながっているけど、切る理由もないので残している。

人間関係に悩まない人間なんていないし、気の合う人や感性の近い人に会うのは何百人にひとりだろう。フリーランスでやっていると、いろいろな人との出会いがある。ただ、類は友を呼ぶのことわざは本当で、あの頃のギスギスした性格と価値観がかなり変わったおかげで人間力の高いステキな方々を紹介してもらう機会が激増した。

逆に関わりが減った人もいる。その人たちの事が好きとか嫌いとかではなく、感性とか価値観が変わったことなんだろうと自分の中では折り合いをつけている。人は好きでいろんな人と関わりたいけど、私は貪欲に上を目指したいし、常に感性を磨き続けている。

バカだと思われたくない、頭が悪いと思われたくない、社会に出てからずっとずっと持ち続けていた劣等感が生き抜いていく上での圧倒的な武器になった。

評価を受けるたびに、スゴイねと言われるたびに、カッコいいねと言われるたびに、劣等感の薄皮を剥がしていく。

「もっと自信持てよ。もっと堂々としろよ。もっと余裕見せろよ。お前はこんなに頑張っているじゃないか」劣等感の薄皮を剥がすたびに自分に言い聞かせた。

この年齢になってようやく劣等感がなくなった。だけど、あの頃の気持ちはずっと持ち続けてないといけない。

それが私の宿命であり、運命だから。





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