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「わかるために」はじめて考えてみませんか?

あなたは「考える人」ですか?

放送作家だった頃、番組ゲストとして著名な建築家に出演してただいた。ユニークな建築物をデザインして各方面から評価を頂いている方。

出演後の雑談タイムで「ユニークな建築物の思考のベースはどこにあるんですか?」というテーマになり、一冊の本をすすめてくれた。

考えるってどうすること――。?見えない枠組みを疑う、自分を外に開く。上手に考えるためのヒントを解説するイラスト満載の哲学絵本。

「考えるってどうすること」?と聞かれたら、あなたはどう答えますか?

本書では、「考える」とはどういうことなのか、どうすればもっと上手に考えられるようになるのかを、心なごむ絵とともにやさしく解き明かします。

たとえば、なぞなぞを解くことが哲学のきっかけになっていたり、なにげなく見ている夜空の星から「問題」の本質が見えてきたりする――そんな、身近な例をたくさんあげて、「考える」ということの本質に迫ります。

また、身近な話題だけでなく、論理学によって、よく言われる「論理的に考える」ということは、実はできないということも証明します。

見えているものをそのまま見ているだけでは考えることはできません。無知や無秩序からは問いは生じないからです。見えない枠組をはずし、いろんな知識をもち、いろんな理論を引き受けるからこそ、多くのことを鋭く問い、考えられるようになるのです。

本当の「考える力」が身につく哲学絵本。

Amazonの書籍紹介より

教えていただいた30秒後にAmazonでポチって、自宅に届いてから一気に読んだ。20代から哲学好きだったので、大変面白く読めた。

本を読んで疑問が浮かんだ。「あれ、これって20代からずっと実践している思考回路だ」。僕は常に何かを考え続けている習慣が身についていたようだ。一冊の本を通してそんな認識を再度確認できた。

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もう一つ疑問が浮かんだ。

「考えない状態ってどういう状態なんだろう?」

新しいモノを常に生み出し続けたいと、18歳から「創作活動」なるものを続けてきた。創作に考える時間は必須だ。

バンド活動をしていたときは演奏に始まり、作曲・編曲、ちょっとだけ作詞もやった。放送作家は企画書作り、台本作成、番組構成など。

良い曲、面白い番組、企業PRの効果的なメディア露出。何かのゴールに向かって創作をし続けてきた。社会に出てから25年近く、この思考回路でやってきた。

社会に出る前も、この思考をベースに生きてきた。何かしらの工夫をしたがる子どもだった。ゲームをクリアするときもノーミスやハイスコアを目指す。ブラウン管から飛び込んでくるドット絵と心地よいピコピコ音をビートに刻みながら考え、没頭した。

没頭状態がインプットになる。ワクワクしながらソフトの箱を開けてばばっと説明書を読み、プレイを重ねてゲームに関する情報を入れていく。情報がたまっていくと、応用が利く。最短クリアや点数の稼ぎ方も身についていく。

大人になってからは仕事に「ゲーム化」を取り入れた。飲食店バイト、どれだけ早く皿洗いができるか選手権、ニュース編集の現場、どれだけキレイな日本語を整えるか選手権。基本的な作業・業務を教わった後はひとつひとつの業務をどれだけ楽しめるかに没頭した。

30代後半からは、なるべく多くの本を読んで没頭した。自分のネタを探すために興味のある本、すすめられた本を一冊でも多く読んだ。すすめられた本の中で出会ったのが「はじめて考えるときのように―『わかる』ための哲学的道案内」だった。

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「考えない状態とはいったい何なのか」

考えない状態とは、NHKのチコちゃんの決めゼリフ「ボーっと生きてんじゃねーよ!」的なことである。

冒頭引用部分で「見えているものをそのまま見ているだけでは考えることはできません。無知や無秩序からは問いは生じないからです。見えない枠組をはずし、いろんな知識をもち、いろんな理論を引き受けるからこそ、多くのことを鋭く問い、考えられるようになるのです」を太字にしたのは、これがまさに答え。


知識がない


知らない


無知


仕事柄、無知は「使えない奴」の烙印を真っ先に押される。リサーチは必須なので、仕事に関わる情報はあらかじめ仕入れておく必要がある。それが当たり前だと思っていた。

でも、世間のビジネスパーソンの多くは「考えるの面倒くさい。正解を教えてほしい」状態らしい。じゃなかったら、東洋経済が短期間に2度もChatGPTの特集なんて組まない。

僕の専門分野である「文章術」でも、こんな特集が出ている。

ニーズがあるからこうした特集記事が組まれるのだろうし、「書き方」を教わって実践するのは悪くはない。「ご苦労様じゃない!お疲れさまです、だろ」とメールの書き出しを怒られたことがあるから、こうした記事で知識を入れるのもいいだろう。

でも、結局その先に行くには考えないといけないのよ。ここまで書いてきた2000字ほどの文章だって「、」の位置は全て推敲して打っている。「、」の打ち方に正解はない。ビジネス文書なら減るし、コラムやエッセイなら「これでもか」と入れる。自分で自分の正解、いや最適解を刻み続けている。

「え、こんなところに、入れるの?」と思いながら読んでいるプロの書き手もいるかもしれない。でも、それは文章を書くという僕にとって尊い行為に真摯に向き合い続けてきた結果。もちろん一定の法則はある。

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コロナ禍になって終わるまでの個人的大っ嫌い流行語は「思考停止」「同調圧力」「予定調和」「前例踏襲」

僕が強制的に「ボーっと生きてる」状態になるのは、サウナ入って水風呂入って、顔面に水風呂の水を3回ぶっかけて、寝そべって外気浴をしているとき。街中や電車内を見渡してみると、サウナにも入ってないのにそんな状態で歩いたり、スマホをいじっている人がわんさかいる。

筋トレ嫌いの僕がジムに行き、トレーニング器具の基本的な使い方を教わっているのは自分できちんと筋トレができるようになるためだ。ただ教わるだけでなく、「何のためにこのトレーニングをするのか」をきちんと説明を受けて納得してトレーニングに入る。

筋トレを考えるベースの思考、「はじめて筋トレを考える時の」思考を手に入れて、これから筋トレに没頭するための準備をしている。

ジムのインストラクターさんの言葉「他のジムに行くと、自己流でやっていて効かせたい筋肉に効いてないトレーニングをしている人、まぁ多いんですよね」が頭から離れない。なりたい体が自己流でできれば、それでいいけど、確率論からは難しい。

別に僕の考えを押しつけるつもりはないし、それぞれがそれぞれの幸せの形に向かって人生を全うしてくれればいい。

少なくとも僕は無意識に、10代からそんな生き方をしてきた。ワガママと言われてきたかもしれない。「自由だね。楽しそうだね」と言われることもある。本心からそう言ってくれたのだろう。

でも、「自由だよ。楽しいよ」と返してる僕は結構ストイックなんすよ。別M的な志向を持っているわけじゃなくて、ちょっとストイックになれば殆どの人たちが憧れているであろう世界へ、結構簡単にいけると知っているから。

考え続けるしんどさも知っているし、ストイックであり続けることのしんどさも知っている。

だから、ほんのもうちょっとだけ、きょうもしんどい思いをしながら、考え続けながら1日を終えます。

人生を全うします。




あなたは考える人ですか?





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