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「鞄持ち」から見る想像力の有無。優しい人にしかできないのに

「鞄持ち」という日本語が目に飛び込んできました。十何年ぶりでしょうか。この言葉を目にしたのは。

幻冬舎の箕輪さんがツイッター上で鞄持ちの募集を始めました。

「へー、ツイッターで募集するとは、さすが話題作りが上手だなー」と感心しました。「ミーハーな人はNG」というだけあり、本気で育てようという意気込みが伝わってきます。

ところが、リプ欄を眺めてみると、なんでもケチをつけたがる方からのコメントが。

「奴隷契約ってやつですかね」

「要は雇用関係をむすびたくないけど、好きに使える人がほしいと言うことね?」

「労働基準法的にアウトなやつ。有名人だからできることなのか、弟子だから許されるのか。悪しき徒弟制度を思いだすよ。

「かっこわる。普通の企業みたいに秘書として雇えよ。雇って金払った上で、卒業後大活躍するように育ててやれよ。法的に云々より、ただただかっこ悪い」

「与えた仕事に応じて価値の保証された報酬を与えないのは『人権の軽視』だと考えます。これを問題ないと考えるのは、日本人特有の無自覚な人権軽視が根底にあるのではないでしょうか。自分に贅沢するお金や貯金があるならなぜ報酬を与えるのを渋るのでしょうか。理解できません」


「労働基準法69条:徒弟弊害の排除『使用者は、徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の習得を目的とする者であることを理由として、労働者を酷使してはならない』最低賃金相当すら渡さない場合は酷使に該当します。今まで問題が起きていないのは単に不法行為の被害者が訴えなかっただけです」

鞄持ちを「労働」を当て込めて物事を語り、正義感を発揮して「ドヤァ!」と言わんばかりのコメント。

私は読んでて頭がクラクラしてしまいました。

そもそも鞄持ちは労働じゃない。それが理解できていないんですよね。こうしたコメントをすること自体、「あ、ぼくは想像力の欠片もありません(ドヤァ! )」と言っているのに等しいのに、それにすら気づいていない。なんとも切ない気持ちになります。

切なくなるのは、きっと20代の私だったらそんなリプを飛ばしていたから。

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私は2006年、よしもとNSCの作家コース(東京校)を卒業しました。当時の作家コース卒業生には、新宿の劇場「ルミネtheよしもと」のスタッフとして働く権利がありました。希望すれば、劇場で制作スタッフとして作家の修業ができるのです。

ただ、待遇に驚きました。正確には書きませんが、週の拘束時間はかなりのもので、月額の報酬は数万円。「え、これ実家暮らしじゃないとムリやん。バイトもできんやん」という条件でした。

それでも「ルミネの裏方になれるなら」と、同期の何人かはルミネのスタッフになりました。

当時の私は驚きました。「え、マジで?よく行くね?」と。私は舞台よりもテレビ番組に関わりたかったので劇場志望ではなかったとはいえ、マンションを借りてひとり暮しだった私はアルバイトの時間がなくなるのは死活問題でした。卒業してから、ルミネには通っていません。

では、どうやって放送作家としての活動をスタートさせるか。私は「放送作家 募集」とググって出てきたページをひたすら読み込み、調べました。

その中で候補に残ったのは2つ。大手作家事務所の「新人募集」と大御所放送作家の「鞄持ち」でした。

どちらも連絡したら話を聞いてもらえることになったので、まずは大御所放送作家に会いに行きました。恥ずかしながら、この方の名前は知りませんでした。

放送作家は業界の中でも立ち位置が高い肩書きです。秋元康さん、小山薫堂さん、鈴木おさむさんなど、文化人としても活躍する方が数多くいます。そんな放送作家業界で「大御所」と呼ばれる人なので、いったいどんな人なんだろうと面接にお邪魔しました。

「鞄持ちだから、基本的に俺と行動を共にすることになるけど、それでも大丈夫?もちろん飯は食べさせる。住み込みじゃないから、報酬は微々たるものしか出せない。しばらくは修行期間。それでも覚悟ある?」と言われました。

「え、これ実家暮らしじゃないとムリやん。バイトもできんやん」

劇場スタッフの待遇とほぼ変わらない条件に、何ヶ月前に言い放った言葉が出てしまいました。「返事は後日、電話で」という事務連絡して、面接を終えました。

このとき、一緒に面接を受けていた同世代のスーツ姿の男性、サラリーマンだったと思います。その人と面接の帰り道、「どうします。鞄持ちやります?」と聞きました。すると、男性は「僕は鞄持ちをやります。あの先生にしばらくついてみて、環境を見てみたくなりました」と答えました。

「え、マジで?よく行くね?」

私は心の中でつぶやきました。あの時のように。私は作家事務所の面接を控えていて、それからでもいいやと思っていました。私は帰り道、男性に作家事務所の話もしていました。それでも彼は、環境を変えるためにダイブする決断をしたんです。

理解できませんでした。当時の僕には。

貯金がなくてバイトで生計を立てないと苦しかったという事情もありました。でも、せっかくNSCを卒業したんだから、自分の力でどこまでやれるか試してみたい気持ちもあったんです。

その後、私は作家事務所に預かりとして入り、同じ時期に応募してきた作家見習い数人と2ヶ月ほど企画勉強会に参加。2006年夏にある番組のリサーチ業務をすることになりました。これが私の放送作家としての最初の仕事です。

2006年秋にはテレビ局の報道スタッフとして週5日常駐し、ニュースを編集してサイトにアップする業務に携わります。週5日常駐なので、当時の私にとっては結構な額のギャラを頂くことになり、ここからアルバイト生活を抜けることが出来ました。

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その時は報酬に飛びついて、やりたかったバラエティとは全くの畑違いである報道の世界に飛び込みました。結局、報道・情報番組の担当が主になり、バラエティ番組に携わることはほとんどありませんでした。それはそれで良かったですし、特段の後悔はありません。

なぜ、そう思えるのか。振り返ってみると、今の自分を形成する上で報酬よりも大切なポイントがあったからです。

「環境」です。

1日8時間、週に5日、週に40時間もテレビ局で業務をする環境を与えてもらったんです。私はとにかくテレビ局で働く人間になりたかった。そのためなら、報道の仕事でも構わないと思い、ダイブしました。バラエティは年数が経っても出来る。そう思っていました。

作ってもらった入構証を入り口にかざして「ピッ」とゲートをくぐり、報道フロアで業務をして昼間には社食を食べ、打ち合わせをしていた局内のカフェには有名人もちらほら。報道番組の制作の過程を間近で見ることが出来る。

「テレビってこうやって作られているんだ」

作家1年目にして、ここまで恵まれた環境で仕事が出来たのは本当にラッキーだったと思っています。逆に報道の仕事が入ってなかったら、今の自分はどうなっていたんだろうかと。

環境が変わると、関わる人も変わります。テレビ局には様々な人がいますが、やはり番組作りをしている人たちは教養があり、会話レベルも高い人が多い。中にはクズみたいな人もいましたけど、僕がフリーターをしていたときに関わっていた人とは、やはりどこか違います。

テレビの仕事をし続けるだけの学びを取り入れないといけない。この時に持っていた強烈な学歴コンプレックスを解消するため、局内にあった新聞や雑誌を片っ端から読み漁れたのも、テレビ局という環境があったからこそです。

お金よりも、環境だったんです。

ルミネtheよしもとのスタッフになった同期、大御所放送作家の鞄持ちになった男性、私が「え、マジで?よく行くね?」とつぶやいた彼らの気持ちが今ならよくわかります。よくわかるし、いまでは尊敬しているほどです。

十数年ぶりにみた「鞄持ち」という言葉。当時28歳の私は、箕輪さんの鞄持ち募集に謎の正義感リプを飛ばしてくる方々と同じ思考でした。環境選択の重大性がわからなかった。作家1年目でテレビ局・週5日で働く環境。それが当たり前だと思っていましたから。

もしあの時、「いや、僕はバラエティをやりたいので、バラエティのリサーチなどの仕事をガンガン取ってきてください」と言っていたら、アルバイトをしながら生計を立てる日が続いていたでしょう。

作家1年目がテレビ局に行ってディレクターやプロデューサーにネタ出しをするのは月に数日。そこから実績を出して引っ張り上げてもらえる作家は、そこまで多くありません。

果たして私は引っ張り上げてもらえる作家になれたのだろうか。そう考えただけでも、背筋が凍るほどゾッとします。

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鞄持ちは金銭ではなく、環境という報酬を与えてくれるんです。そこが理解できないと、本質を見誤ります。だから労基法が何とか人権という言葉が出てくる。

箕輪さんだって、かつては埼玉県の小手指から西武池袋線の満員電車に揺られて通勤していた方です。「このままじゃあかん」と動きまくって環境を変えたからこそ、鞄持ちを募集できるまでのポジションになった。

かつての箕輪さんがそうであったように、鞄持ちを定期的に置いているのも、「俺を踏み台にしていけよ」という箕輪さんの優しさなんですよ。それを労基法やら人権やら搾取だの言えるのって、本当に想像力が欠如している。そう、28歳の私みたいに。

大御所放送作家の鞄持ちになった男性のその後は分かりません。今でも業界で活躍しているかもしれないし、鞄持ちがしんどくなってすぐに鞄を持たなくなってしまったのかもしれない。

でも、「こうなりたい」という渇望に従い、ベットして環境を変えた。その決断自体はとても尊いですし、お金の問題なんてちっぽけ事に過ぎなかった。

報酬をだけに目が行き、「環境」の大切さを知らなかった私は「鞄持ち」という言葉にアレルギーを示していました。

十数年ぶりに見た「鞄持ち」という言葉から張り巡らせた思考は、「ちょっとは成長しているんだな。わたし」という結論と共に、次はどんな環境に身を置くべきかを考えさせてくれる時間になりました。



あなたは今の環境に満足していますか?
わたしは全然満足していませんよ。






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