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白でも黒でもない。こんな時代だからこそ、グレーゾーンがわかる人間を育てていきたい

今回は僕が尊敬し、お世話になっている方にインタビューを行い、普段から考えていることや未来への展望など深掘りました。

インタビューしたのは浜崎正樹さん。福岡のテレビ局・FBSのアナウンス部長の職を辞して2023年に独立、フリーアナウンサーの枠を超えて各方面で活躍しています。


自分で考え、判断できる子どもを育てていきたい

木村:あらためて、独立までの経緯を教えてください。

浜崎:会社を立ち上げるときに事業の柱を3つくらい決めないといけないなと思ったのね。最初に浮かんだのは「食」、特に農業の分野でなにか携わりたい。2つ目は「日本の伝統文化を守っていきたい」。

で、3つ目をどうしようかと思ったときに考えたのが、「そもそもなぜ自分はテレビ局を辞めようと思ったんだろう」と。

コロナ報道に関する姿勢に感じた疑問もあるけど、この20〜30年で日本はずいぶんと良くないほうに変わってしまったなと思ったのね。世間では「政治が悪い」「世の中が悪い」という声もたくさんある。

でも、そんな世の中にしてしまったのは結局、個人個人の選択による結果なんだと考えた。その考えに至ったときに、自分の頭できちんと考え、判断して選択していく子どもたちを育てていかないと日本が復活することはたぶんないんじゃないかなと思ったのよ。だから3つ目の柱は「教育」に決めたの。

木村:いわゆる「正解主義からの脱却」というやつですね。

浜崎:そう。でも今までの旧態依然とした教育システム、例えば勉強を頑張って先生の言う通りにしておけば内申点がよくなって、いい高校に推薦で行ける。そんなシステムを批判するつもりは全くなくて、子どもたちが自分で考えて判断する教育を実践している人たちを発信していきたいんだよね。

結局、"食"や"伝統文化"に対する問題も、社会を生きる日本人の考え方や行動が正しくなければ解決しない。"教育"の重要性を、これらを通してあらためて感じたんだ。

自らの判断・決断を大切にする中小企業の社長さんたち

木村:そういう意味では、コロナ禍における日本人の行動意識はいろいろと考えさせられましたよね。

浜崎:当初の新型コロナは得体がしれなかったから、ダイヤモンドプリンセス号によってウイルスが持ち込まれたときは日本中が大騒ぎになった。当日の致死率はインフルエンザよりも高かったし、志村けんさんや岡江久美子さんといった有名人が亡くなるという出来事もあったよね。

だから、僕も最初は「感染対策を徹底しましょう。手洗い、うがい、マスク、ソーシャルディスタンス」と使命感を持ってテレビを通して呼びかけていた。

でも、オミクロン株の出現以降、致死率も下がり、コロナに罹る人が増えてきた。コロナ禍が始まった頃は「コロナに罹る奴は悪だ!」と言われたけど、オミクロンになった頃には「コロナに罹ってお互い大変でしたね」と互いに言い合えるまでになっていた。その中で、これまでの報道スタンスでやり続けるということに疑問が生まれてきたんだよね。

ワクチンも専門家が「2回打てば大丈夫です!」と言っていたので、僕は2回は打った。でも、専門家は「3回目も打ちましょう」と言っている。いや、2回打てば大丈夫ですと言っていたじゃないかと。いつまで続けるんだろうと。

なんで続けるんだろうと自分なりに分析してみたら、「最終的な責任を自分で取りたくないからだ」と気づいたの。「もうコロナは終わりましたよ」とトップなり責任者が旗を振れば、みんな従って、終息したんだよね。

木村:トップやら責任者はいまだに「コロナは終わった」と言ってくれませんね(笑)

浜崎:個人単位でもマスクを外すのは誰かのせいにしたい。誰かっていうのは職場の上司だろうし、上司も責任を取りたくないから社長のせいにしたい。社長も責任を取りたくないから、自治体や国のせいにしたい。

その国も「マスクは任意着用」と言ってるのに「事業者の判断でマスクを求められる場合もあります」と小さく文言をつけ加えている。その文言のために、いまだに感染対策をしている事業者がいる。

木村:僕の主観ですけど、コロナ禍でマスクをしていないのは経営者層に多かったですね。

浜崎:それは感じる。テレビ局を辞めて中小企業の社長さんと話をする機会が増えたんだけど、「ウチの会社は2年前くらいにはマスクやめたよ。ワクチンも打たせていない。社員の身体に何かあったら大変だから」と言っていたのが印象的で。

中小企業の社長さんたちは判断をひとつ間違えると会社の経営が一気に傾くこともあり得る。だから自分たちの感覚をすごく大切にしているんだと思ったんだよ。こういう人たちをこれから生み出していかないといけないなと感じたな。

木村:コロナ禍で日本のいろんな部分が可視化されましたよね。

浜崎:日本と言うより、日本人がヤバいというのが可視化されたような気がする。日本人がヤバいから日本がヤバい。

木村:可視化された行動規律で最もヤバいのがマスクでしょうね。炎天下でもマスクをし続けていて、我慢大会さながらの様子が見ていて切ないです。

グレーゾーンの大切さが失われている

木村:テレビや新聞といったマスコミも、コロナ禍の報道を抜けることに引っ込みがつかなくなりましたよね。

浜崎:1度でも「感染対策を徹底しましょう」と報じてしまうと、「もう普段通りでいいです」とは言えないよね。「テレビがそんなこと報じていいのか」という視聴者の声も気にしてしまうだろうし。

でも、僕が30年近くマスコミにいて強く感じるのは、メディアから情報を発信する人たちは、自ら発信する情報によって「その先の変化した世の中を”自分も”生きていかなければいけない」という感覚が足りない人が多い気がするのよ。

自分たちが発信する情報で世の中がより良くなっていくのはいいんだけど、規制のキッカケを作る発信をしてしまって、何か生きづらい世の中になってしまうこともある。

突然だけど、レバ刺しは好き?

木村:大好きです。

浜崎:かつて、ある焼き肉店がメニューで出したレバ刺しに菌がついていて、食べた人が亡くなってしまった。それはとても不幸なことだし、報じる意義もあるんだけど、その後にメディアが一斉に「レバ刺しは悪い食べ物!」と言わんとする流れになった。

でも、地域によっては文化として牛のレバ刺しを食べる場所もあって、行政側も水面下で「体調が悪かったり免疫が落ちてる人は食べないでくださいね」とアナウンスをしてきた。

それなのにメディアが「法律上、レバーを生で食べて良いのは馬だけ。あとはレバーの生食はダメです。だから、牛のレバ刺しは法令違反じゃないですか?」と報じたら、行政側も、せっかくグレーゾーンにしていたのに動かざるを得なくなってしまう。「レバ刺しは白か黒か?」となったら、行政側も「黒です」と言わざるを得ないよね。

じゃあ、もう焼き肉屋さんでは牛のレバ刺し禁止となって、「きょうはレバ刺し最終日です」という焼肉屋にメディアがこぞってやってきて取材をしている。「残念ですね」と言うお客さんの声を拾って報じているけど、「いやいや、あなたたちが散々レバ刺し問題を煽ったおかげで、あなたたちも美味しいレバ刺しが食べられなくなったんじゃん」とこっちが残念な気持ちになっちゃう。

だから、こういう問題でも「白でも黒でもない、グレーゾーンって大事ですよね」と発信する姿勢も必要なんじゃないかと思うのよ。

木村:白黒をハッキリつけたほうが考えなくてラクですからね。

浜崎:自分たちが報じることによって、世の中は明るくも暗くもなる。その世の中でも、自分たちは生きていかないといけない。マスクもそうだったじゃない。

「感染対策としてマスクを着用しましょう」と散々報じてきた結果、自分たちもマスクをし続けないと生きられないような世の中になってしまった。

そういう意味で、グレーゾーンがわかる人間を育成するのは今後の日本の教育において、本当に必要なことだと感じているんだよね。

木村:そもそも人間こそがグレーな生き物ですよね。良い部分もあればダメな部分もある。それもひっくるめてひとりの人間なのに、白黒つけたがる人は「あいつはこういう人間だ」と決めつけますよね。いろんな部分があるのが理解できていない。

浜﨑:「あなたの意見もわかる。でも、あっちの意見もわかってやろうよ」と互いの意見を尊重しあってその中で最適解を見つけていく。多様性と言われる時代だからこそ、白でも黒でもないグレーゾーンがわかる人を増やしていかないといけないね。

木村:そうですね。私も協力させてください。




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