そこの環状線で死んじゃった人もお盆に馳せて
たまに通る歩道にひまわりとタバコが置いてあった。タバコは缶コーヒーのプルトップの指をかけるところを通して置いてあった。
火は最後まで行く事なく途中で止まったようで黒く燻って消えていた。
今までそこにはひまわりも缶コーヒーもタバコも置いてなかった。
最近の出来事だったんだろうか、直線の見通しのいい環状線でどんな事故だったのか、ガードレールも綺麗でブレーキ跡もなかった。運転中に病気で倒れたのか…そもそも車道とも限らない歩道で歩いていてかもしれない、なんだったのだろう…。
お供え物のタバコと缶コーヒーは故人が好きだったんだろう、セットとして確立しているし、そんな人を想像させる。
タバコと缶コーヒーを愛した人だったけど死んだ時くらい花を添えよう、花を飾るなんて無かったからね、こんな時くらい飾ろうよって置いてくれたのだろうか、でもなんでひまわり…しかも一輪…気になった。
ひまわり好きの方だったんだろうか…それとも買ってきてくれた人が花屋に行ったらひまわりがこれ見よがしに置いてあり売れ残るのもかわいそうだ…と買ったのか?
いや「そもそも私ひまわり好きなんだよね〜かわいい!ひまわりしかかたん!」と、お茶目な方だったのか?
いや「あの人ひまわりらしい人だったから」のか?(ひまわりらしい人は怪しい…らしい)
ひまわりを利用した夏ですよー感、夏の押し売りでひまわりが使われて気の毒にさえ思うあの夏のひまわりステレオタイプに何も感じなかったのか?
脱線もしつつ色々と想像させられる。
そんなひまわりがいいアクセントになり缶コーヒーと燻ったタバコが置かれている夏の環状線には何か漂うものがあった(よく分かんないけどそんな気がする)。
無念だったと思うけど、なんかいいセットだった。来た人がタバコに火をつけて缶コーヒーを開けてそこに挿して置いてくれる、多分タバコを置いた人とは違う人がそっとひまわりを置く、きっとタバコを置いた人は自分のタバコにも火をつけて一緒に吸いながら「どうでもいいけどひまわりかわいいな」って思ったことだろう。
そんな友達…いいなぁ。
16日、お盆最終日、「タバコで送り火しよ〜ぜ〜」とか冗談言って送ってるかもしれない。
故人に思いを馳せるならご先祖だけじゃなくてもいいし、そこの環状線で亡くなった知らん人でもいいじゃんね、タバコに缶コーヒーでひまわり眺めてゆっくりしてくださいよ
みんなまた来年すね。
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