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春の季節とシンギュラリティ

春一番が勢いよくふいたと思ったら風と共にまごころも去ってしまった。ピクニックで振舞われたお弁当で人が握ったおにぎりを口にできない人もいて、更なるまごころが試されている。

ACジャパンの広告作品「寛容ラップ」が広告賞のグランプリを取ったという。

レジ係のSさんは「支払いを終えた相手が手を差し出すよりも早くレシートをトレーの上に置く事ができます。手渡しでレシートを渡した事がなく機械的なお礼も自然と身につきました」という。
受け取る年配の方も「セルフレジから出てくるレシートに悲しみは感じない、レジ係のSさんに対して勝手に対等な関係を期待してしまうならセルフレジの方が嬉しい」という。
後ろに並んでいたハイブランドを買い漁る男も「セルフレジが使えりゃ別に問題ないし、つかセルフレジを作ったやつを讃えろし」という。
寛容ラップは何処まで響くだろうか…。

人間同士のalignmentは難しさがあるからこそつながった時の喜びは一入で、そんな時には是非一緒にハーモニーを奏でたい。
人と人が一緒にいる意味、AIの発達でsingularityが語られる時だからこそシンプルな気持ちのやりとりが生まれる瞬間を映し出した広告が良かったのだろう。

ぺーパークリップを全身に取り付けたような人も、Dyson sphereを信じて黒ずくめの人も、URLは見せずに知識を取り出す人も、utility monsterである事は承知の事実だと笑顔を盾に薄情多売する何枚も上手なえんとつ町のニシノ氏だとしても、みんな自分の情報を隠して生きていて、それこそが人間だとしても謙虚さは必要になるだろう。

世の中にウヨウヨと蠢くsingularity一神教も春の暖かさに出てくる虫や桜のように儚さを持ち合わせているのだろうか、利己的な価値観は心地よい季節に混じって素知らぬ顔でやってくる。

猶予期間の短さに何の疑問も持たないままに合わせた方が早いからと多数に流されて何処へ行くのか、singularityの神はそんな人間たちに切腹を求めるか、崇める人間の道理には佐藤さんの素早い無表情レシートに対応可能なsingularityの答えを持ち合わせているのだろうか、数日経ってもトレーに置かれた無表情レシートを拾い上げる事が出来ない人がいたとしたら邪魔者なんだろう、停滞する気持ちが流れを悪くするからこそ浮かび上がるものがあって相手の気持ちが推し量れないからこそ自分だっていていいはずだ。

脳をスライスしてシナプスだかなんだかを読み取らせるという致死率100%の信じがたい方法が提案された(その会社は炎上したという)例えばレジ係の佐藤の脳みそをスライスしてAIに読み取らせたところで出てくるレシートの質感は同じだろ、そんなURLなら幾度となく見たことあんよ

未来とはなんなのかsingularityとはなんなのか、レジ前の物語で無表情なら3TBのおにぎりでも食ってデジタルセルフで寝てろってことだろう、レジに並ぶ際は呂布カルマスタイルでカマすしかない。

季節の変わり目はあっという間に流れてしまう。
そんな時に何を感じているのか振り返る余裕なんてないのかもしれない、少し暖かくなりだいごろうに半袖を着せてみたら随分大きくなったように感じた。
服から出る腕や足、肉付きと膨らみ、抱き上げれば重みを感じる。AIは今のところ身体性を持ち合わせないがAIのような人間はあるかもしれない。
赤子の身体性は独特で大人と呼ばれるものよりも自然という事なんだろう。

(シラスレビューと一部内容同じ、記録用)

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