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なぜ、人はいつかは死ななくてはならないのか?『生命科学的思考』

フルライフ・マインドセットコーチ/カウンセラーの宮田です。

好きなもの、こと、日々の気づきなど、自由にアウトプットしています。


ここ数ヶ月のうちに続けて葬儀に参列することがあり『死』や『終わり』について考えていました。

考えていると入る情報、見えてくるものが変化するもので

テレビをつけると、黒木華さん主演ドラマをゴシップの中のセリフがヒット
「ゴシップ記者なんて仕事は必要あるんですか?」
と言う若い編集者に編集長役の黒木さんがこう答えます。
「必要なければ淘汰される。まだ存在していると言うことは必要ということ」

確かに、自然淘汰は良いこと悪いこと、また感情といったことは関係ないものだから
悪くみえるものや無意味に思えるもの、今の自分には理解できないことも、生物の種の生存の法則から見てみると存在しているということは何か必要があるともいえる。

※誤解のないように、死=必要ないから淘汰されたという意味ではありません。

私がその言葉を聞いて思ったことは、この世に変化しないものはないと思うのですが、形を変えながら残っているもの、なくなっていくもの、本当にそれ必要?と思うけど、残っているものなどあります。

時代や環境の変化などで、今あるものもいつまで残るか、同じ状態であり続けるか、消えていくかは分からないもの。

自分の常識では不必要だったり、悪に思えるものでも、存在していると言うことは何か必要があるんだろう。


お葬式もコロナ前とは随分と変わりましたね。
そもそも地域や国、宗派で考え方ややり方も全く違います。

それにお葬式は何故するの?いつ頃からするようになったの?
今まであまり考えてこなかった分野だったので知らないことが多い。

コロナ禍でお葬式も今までのようにはできなかったりしていますが、今後はどうなっていくのか?
私は親戚が近くに住んでいる人が多くて、通夜から葬儀、初七日と30人近く参列がありましたが

こういうご時世なのでご近所には式が終わってからお知らせすることも増えているみたいです。
近くに親戚がいない人、親戚付き合いがない人は、1人2人でお葬式を行うことも増えているよう。

結婚についても親戚などが集まると、子や孫が結婚したとか、しないとか、いつするのかとか、相手はいるのかとか、結婚すれば子どもはまだかとか、産まれたら次はまだかとか、、、挨拶のような感じで話題にしたりする方もいて、苦笑いすることも。

うちの息子も話題にもぼる事もあるので、「するかもしれないし、分からないね。本人に任せてるので」と笑ってますが

息子がではないけど、そもそも出会いがないという話もよく聞くし、今は男女とか年齢とかも関係なくなってきて、彼女を紹介してくれるか、彼氏を紹介してくれるのか、歳の差とか普通が色々と分からないでしょ。
入籍に拘らない人もいるし、結婚式も挙げてもあげなくても良いと考える人もいるわけで、お互いが良いと思えるところで落ち着くと良いなと思ってます。
(簡単にそうは言えない方もいると思いますが)

他にも、実家のお墓と居住地が離れている人も増えていて、お墓参りや管理が大変、、、とか
ニュースで遠方のお墓の管理やお参りを業者に委託する話を聞いたり

私もですが、お墓をわざわざ持たなくてもいいんじゃない?と言う考えもよく聞く話で、お墓の管理のために生きている人たちの負担が大きいのってどうなんだろう?
これからお墓ってどうなっていくんだろう、、、
大切にしていきたいものはなんだろ?とか


母や90近い叔母とも話す機会があり、お互いの終わり方の意思確認をしたり。
母は以前から「ただ延命を目的にした治療はしたくない」と聞いてましたが、叔母も私も同じ考え。

なぜ母がそう思うようになったかと言うと、母の姉の最後が意識もなく栄養を入れる管など何本も繋がれた状態で過ごしているのをみて、みている自分が辛かったという経験から考えるようになったそう。

いつ何が起こるか分かりませんし、今のところ生まれてきたら必ず死を迎えますから、こういう話は元気な時にして、周囲にも伝えておかなきゃねと。

私が一番最初に死と出会ったのは3歳ぐらいで
記憶にはないですが、父の葬儀で幼い私が大勢の参列者が来るのにはしゃいでいたのが、さらに涙を誘ったという話を母から聞かされていて、多分それが最初です。

今回はもうすぐ100歳を迎える叔母の葬儀で、大きな病気もなく、老衰になるのかな、まるで寝ているような安らかなお顔。
「お婆ちゃんどこいったん?」と無邪気に聞いている曾孫たちがその時の私と同じぐらい。

叔母は大往生だったといえると思いますが、やはり身近な人の死は感情的には寂しくなりますね。

人の生死の話はタブー視されることもありますが、感情と切り離して、死や終わりについて考えておくことも大事かと。

私がいつ終わるかは決まっていないけれど、その時になって後悔することは減らしたいと考えていて
生命時間には限りがあるので、やりたい事はやっておきたい派です。
でもその前に、自分のやりたいことって何?
本当にやりたいことを知っておくことは大事ですよね。

人の認知や行動の仕組みとか、生命の原理原則とかを理解した上で考えるというのが、悩みや迷いが多く苦しくなってしまいがちな人生に役立っていて、目の前の出来事や感情から少し離れて、俯瞰し視野を広げて考えることができると、本音のやりたいことを見つけるのに役立ちます。

ただ自分のことは感情が入ったり、自分では当たり前になりすぎてよく分かってなかったりしますが、、、

生命科学的思考は感情に振り回されないのですごく良いです。

『なぜ、人はいつか死ななくてはならないのか?』の答えの一つもこの本に書かれていて、生命原則を客観的に理解し、主観的に思考するのにオススメの本。

この本のはじめに出てくる
『すべての生物は、遺伝子を運ぶための生存機械だ』

これは、リチャード・ドーキンス氏が1976年に出版された『利己的な遺伝子』に書かれているのですが、この本では人間の行動に対する疑問を「遺伝子の利己性」と言う観点から解説されています。

詳しくは読んでいただきたいですが、かなり簡単に生物学的に言うと
「生物は固体として生き残り、種が繁殖するために行動する」という生命原則がある。

すべての行動は利己的な性格を持つ遺伝子を運ぶための手段に過ぎないと言う見方ができる。

そんな風に言われるとどう思いますか?

目の前の大変な出来事や理不尽とも思えることも、常識?では良くないとされていることをやってしまうのも、遺伝子の生き残り戦略⁉︎

遺伝子の言いなりなのか、、、運命は決まっているのか、、、
なんて悲観的になりますか?

でも本の中では、生命の原理原則を理解した上で、この世界の課題や困難に立ち向かうこともできるのが人類。

生命の原理を理解して、人類は単純に生物的な本能に支配されるよりもずっといい未来に進むことができる。
とあります。

この本に書かれている生命学的思考は、どうしても狭くなってしまう視野を広げたり、見え方を変えてくれるので、「さぁ、これからどう生きていこう」
一度きりの人生、自分らしく生きて、人や社会に少しでも役立ちたいと思います。

「なぜ、人はいつかは死ななくてはならないのか?」ですが、時代や環境は変化するので、少しでも種の生存確率を上げるため、というのもあるようです。

「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ。」と言うのは、進化論で有名なダーウィンの名言ですよね。

この世界に多種多様ものが存在してきた結果、突然の環境の変化が起こっても種が生き残れたということを考えると、自分の常識や好みに偏らずに、偏見のない子どもの頃のように、多種多様な思考や人やモノを許容できる柔軟性を持ちたいものです。

ではまた。

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