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【エッセイ】「お母さんはずるい!」って言ってみたかった

今年に入ってから、これまでのことやこれからのことを総括して、進む道を決めるように迫られているのをひしひしと感じる。

決めたからと言って、すぐに全部がOKというわけではないけど、手放すべきものはできればこの時期に整理をつけておきたい。

ぐるぐる考えすぎると、突発的にあさっての方向へ走り出したくなる(要するに目を背けて逃げる)のが常なのだけど、今回はそうはいかなさそう。

総括するといっても
自分やだれかの過去を否定する必要はない。

ただ、正直に振り返って「あの時、こう思っていたな」「本当はこうしたかったけど〇〇でごまかしてたんだな」と、感じるだけ。

だけ、と言ってもそれがなかなか苦手で難しいのだけど。

そんなわけでぼちぼちやっていて、ひとつ気が付いたことがある。

10年以上前に亡くなったパートナーの死を自分がまだ認めてなかったんだなってこと。

この目で臨終も通夜・葬儀もたしかに見届けたのだけど、自分の心はまだ受け入れていなかった。

当時のブログに書いた一節。

彼が亡くなって一番つらかったのは、亡くなったこと自体より「彼のいない人生を、自分はまだ生きていかなくてはいけない」ってこと。

それでも当時は両親が存命だったから、娘としての責任感で何も考えずに頑張れた。

だけど介護と見送りが終わって3年、ずっと生き続けるための理由と目的を探しているような気がする。

エンタメしかり、創作活動しかり。

自殺する気などはさらさらないけど、この十数年、ことあるごとに彼を思い出しては怒り、文句を言ってきた。
もちろん返事はないけれどきっと近くにいるだろうと感じていたから。

だけど、それ自体が彼の死を受け入れていないあらわれでもあったんだね。

彼を忘れてはいけない、悲しみを手放してはいけない、この傷を癒してはいけないとどこかで思っていたんだ。

よく「亡くなった人が自分の中に生きている」とか「そばにいて見守ってくれている」という言葉を本などで目にする。

確かにそういう側面もあるし、そう感じることで残された人が救われる時期もある。

だけど、現実の世界に生きている人間にとってそれが自分自身をしばるケースもあって。

要するに個人差とバランスの問題なのだろう。
少なくとも、ここ数年の私はそうだった。

もちろん彼との楽しい思い出はたくさんある。
彼の愛情に感謝するし、寂しさに涙をこぼす日もある。今でもたまに。

彼が自分の最後をきちんと見せてくれたのだから、私もそれを受け入れて自分の足で歩いていった方がいい。

ここ1カ月くらいの、ふだんの生活の中で

「ああ、もういないんだ」と、唐突に思った。


思ったら楽になった。


それにしても私はどうして、こんなに彼を悪役にみたててずっと怒っていたのだろう?

ホントは誰に、なにを訴えたかったんだろう?

その答えは、数日後のキッチンでお皿を洗っている時にやってきた。

私は3年前に亡くなった母に対して一番言いたかったのだ。

「お母さんはずるい!」って。


母に直接は言えなかった。

言ったら母を傷つけるから。

愛情を沢山注いで育ててくれた母に口ごたえをしたり、反発してはいけないのだ、親孝行をしなければとずっと思ってきた。

素直で賢い娘でないといけない。
男の子を望まれていたのに女の子で生まれてきたのだから。と。

本当は父のことが大好きでもっと甘えたかったのに、母の目が厳しくてそれができなかった。
それはたぶん母の中に「男は加害者、女は被害者」という根深い男性不信があったから。

10代に入る頃から「父子といえども必要以上に近寄ってはいけない」と言われていた。

だから、というわけでもないかもしれないけどうちではずっと父には敬語と丁寧語。

だから講師なんて考えもしない大学生の頃には敬語が完璧で、ちょっと変わってると教授に言われてたっけ。

優しく穏やかな父ではあったが、年を取るまでなんとなく距離を作る習慣が消えなかった。(介護で必要になったら下の世話もあるしそんなこと言えなくなったけど)

公平に考えればそういう価値観も、母自身が育った環境ゆえだったのかもしれない。

よく「結婚は忍耐」と言っていた母。

最初の離婚後、自立しようと洋裁学校に通っている時に15歳年下の父と大恋愛して再婚。
仕事をやめた後は趣味に没頭しながら97歳の長寿をまっとうした。

おしゃれで美人でユーモアのある人でもあったけど、年をとってからは人に会うのを嫌がるようになり、なにかと不安を口にしてクヨクヨしてた。

娘の目から見れば、若い頃に戦争を体験したとはいえ持病もなく健康で、大手企業勤務の父のおかげで経済的にも安定し、夫や子供たち(私や初婚時の兄姉)に大事にされてまずまず幸せな人生だったと思う。

それでも事あるごとに母は
「男は加害者、女は被害者」の言葉を
口にしていた。

じゃあ父も加害者だったのか?
たぶん違う。
でももしかしたら‥という疑いは
母の中にずっとあったのかもしれない。

高齢になって、被害妄想的な言葉が出た時期、
内容は夫の裏切りがほとんどだったから。
それが父か、最初の結婚相手かはわからないけど。

母の価値観は彼女のもの。
それを否定するつもりはない。

だけど母からの「言葉の呪い」に本当は反発してみたかったのだ。

半分無意識に、母の言葉どおり被害者であろうとする自分、加害者が必要な自分。

そんなのは絶対イヤなのにね。

母の呪いを結果的に受け入れてる自分にもずっと葛藤があった。

人間関係が得意じゃない上に、そんな偏りがあって「〇〇しちゃいけない」とか「〇〇でないといけない」みたいな堅苦しい自分を、彼が許してくれていたこと、甘えさせてくれていたことも今はよくわかる。

彼は不器用で、社会人としてはどうかと思うところも沢山あった。それに乗じて彼に加害者役をずっと押し付けていたんだね私。


私の中にずっとあった気持ちを、はっきりと文章にするのは今、こうして書いていてもとてもこわい。

以前の自分なら、講師としての体裁とか見栄があったからたぶんできなかった。

書こうにも自分自身でもよくわかっていなかったし。

だから、こうして言葉にできるようになったのは、それを理解して越えられるようになったってことでもある。

まだまだ間違ってる部分もあるかもだけど、少しずつ開放が進んでるのかな。


コロナの影響で昨年はイベントも研修も中止になり、人形劇団の活動もストップ。

今年、研修再開の企業からご依頼はいただいているけど他の諸々はまだ止まっていて、先行きは全くわからない。

他の人はどんどん前に進むのに、自分は世の中に求められてないんだと落ち込むこともある。

先が見えなくて不安になったり、人と会う機会が減って、孤独感が増したり。

ただ落ち込みが一定以上の期間続くと、落ち込むのに飽きて浮上してくるから、今は自分を見つめる大きなチャンスなんだと思う。


心理系のブログでたまに「人生の問題は自分の母親との問題」と書いてあるのを見て、以前は「そんなことあるかなあ?」って思ってた。

でも、今は思う。

うん、そんなことありますね(きっぱり)。


子供の頃、口に出せなかった根深い気持ちを出してみると、ほとんど親子喧嘩がなかったような私でもちゃんと突き当たる。

逆に、喧嘩もしなかったところに目をそらしてきた証拠があるんだろうけど。

諸々のことが変化していくこの時期。

これからどうするのか、行動を考える前に心の整理と手放しをする。

苦しい時もあるけど、自分の言葉で綴っていきたい。



5年ぶりにnote再開してみました。
読んでくださってありがとう。


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