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リュックを背負わない理由。

ランドセルリメイク、来年度の新入生向けランドセルの広告、今年の新一年生の背中を見て思う事。
生まれた時から低身長で、「まえならえ」で両腕を伸ばすのに憧れていました。
そんなチビなので、ランドセルが歩いているようだと大人には表現され、同級生の男の子からはランドセルに勢い付けて体重を乗せられ膝カックンじょうたいになったりしてました。
子どもなんだから泣いて大人に訴えたら良かったんだろうけれども、当時は気の強さが全面に出るチビで女の子なのにクソ生意気な生命体だったので、ランドセルに刺した30cmものさしをガンダムのビームサーベルみたいに抜いては乗ってきた男の子に振り回していたのを覚えています。
1年も経たないで、女の子のランドセルとは思えない位、ボロボロでした。
重いしかさ張るし背中は暑いし、なぜこれを運搬に使わないといけないのかと不満でした。
小学3年の頃、ランドセルを母の手製のショルダー鞄に変えました。
ランドセルは高価なものだという自覚はあったので、とても後ろめたかったですが、背中にのしかかってくる重みが無くなったのでとても楽になりました。
以来、両手が空いているから楽と言うのは分かるんだけれども、背負うのはどうしても恐怖に繋がるのでリュックと縁のない生活をしています。
ただのおふざけかもしれないけれども、私にとっては恐怖でしかなかったし、ランドセルに良い思い出が皆無なのも当時の記憶があるからです。
最近、ランドセルのリメイクの報道を見る度に、当時の事を思い出します。
そんなに良い思い出が詰まっているのかな?なんて穿った見方をしてしまいます。
そろそろ、来年度向けのランドセルの広告も見かけるようになりました。あれ、チビには重いですし、あの大きさの重さの鞄、本当に要るんだろうか?リュックじゃどうしてダメなんだろう?今なら軽さと強度があるリュック位幾らでもあると思うんだけど。
本当に子どもの事を考えているのだろうか?
あれ背負っていたら身動き難しいんだけどね。
親や祖父母の自己満足だとしたら、ランドセル自体、要らない気がします。
チビのクソ生意気な女の子の成れの果ての戯言かもしれないですが。

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