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気が気やないで

「ボクはいまウチが決してドン底だとは思わない。バッティングと投手力がうまく噛み合っていないだけよ」

 ズルズルと後退しつつある中日の現状を与那嶺監督は笑い飛ばしてみせた。長いペナントレースの間にはこういう苦しい時は必ずあるの、と。第二次黄金期といわれた水原茂率いる巨人ではリードオフマンとしてチームを牽引。優勝の表から裏まで知り尽くした人間の語る言葉である。

 たしかに中日はいま投打がチグハグで、以前なら勝てていたような試合でもポロリと落とすケースがある。その始まりはいつだったのか。戦績をさかのぼると、今月10日の巨人戦にたどり着く。16失点で大敗したゲームだが、痛かったのは結果そのものではない。この日、谷沢が右足アキレス腱を痛めたという方が問題なのだ。そこから連鎖的に井上や木俣の故障がつづき、どことなくおかしくなっていった。複数の主軸が満足にフルスイングもできず、だましだまし野球をやっているのだから当然というものか。

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 今季初の3連敗を喫した中日。おそらくベンチは祈る思いで松本をマウンドに送ったに違いない。星野仙につづいて松本まで陥落すれば、いよいよチームは立ち行かなくなる。重責を担っての登板となった松本だが、初回いきなり松原の右犠飛で先制を許してしまう。「1点取られたときは、これはいかん、と思った。だからみんなに “こっちも負けんように打って” と頼んだ」。

 松本のリクエストに応えるように中日打線が火を噴いた。まずは谷沢が山下律の真ん中低め真っすぐをバックスクリーン左へ特大の逆転2ラン。2死後、こんどは井上が初球をライトポールに直接叩きつける4号ソロで加点。怪我をかばいながらの出場がつづく二人によるアーチの競演に、誰よりも勇気づけられたのは松本だった。

 実は松本にはチームの勝ち負けとは別にもうひとつ気にかけていたことがあった。「勝ち星も気になるが、2点取られたらもう上がるもん。気が気やないで」。前回の登板でリーグトップに立った防御率争いは依然として拮抗。0.37差に迫る阪神古沢に抜かれないためにも、このゲームなんとか1失点で踏みとどまる必要があった。

 ビハインドや僅差のゲームとなれば松本も細心の注意を払って投げなくてはならず、かえって四球が増えたり一発の危険性が増すおそれがある。しかし早々と2点リードをもらえたことで、松本本来の淡々とした小気味いい投球が可能になった。こうなれば完全に試合は中日ペース、というより松本の意のままに展開される、“ちぎり投げ” の本領発揮である。

 終わってみればわずか105球のスミ1完投。防御率も0.06下げ、7勝目となった勝ち星と共にリーグ単独二冠王に立った。今や信頼度は三本柱のなかでも随一の松本を、近藤コーチはこう評する。「松本は枠にはめるべきピッチャーじゃない。自由に、思うようにやらせる。それが一番です。まあアルコールをほどほどにして欲しい」。チーム1の酒豪は毎晩のようにビール2ダースを平然と空けるのだという。

 当の松本はこの見解にどう答えるか。「こんなに勝ち続けるなんて。自分でも怖くなってきた。ビールを飲んでいてもついつい考えてしまう。しかし、酒量は変わらんけどな」。いつもの “松本節” で締めてくれた。

 ともあれ谷沢と井上が打てばチームは機能する。それを証明する格好にもなった。与那嶺監督は試合前、「長いシーズンには調子の波がある。3連敗など気にかけず思い切ったプレーをやれ」とナインに喝を入れたという。これを真っ先に実践するのだから、やはり頼るべきは主軸である。今は故障で万全ではない彼らの完全復調を心待ちにしたい。

中4ー1大洋

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