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バント屋の殊勲打

 通常、先発投手は何日も前に登板を言い渡され、その日に向けて入念な調整をおこなうものだ。だが時として例外もある。本来予定していた投手が何らかの事情で投げられなくなった場合がそれに当たる。この日の先発、三沢淳も登板を告げられたのは前夜のことだったという。

「実はきのう夜、時さん(高木時夫コーチ)から電話で言われました。昼間にパチンコなんかしていたものだから捕まらなかったそうです。だって登板はあした(23日)の予定だったもの」

 当初は稲葉の先発予定だったが、なんらかの事情があって急遽変更。三沢は軽く夜間ランニングで汗を流しただけでこの日の登板を迎えたという。おそらく首脳陣の頭には「なんとか5回まで」という考えがあったに違いない。三沢は去る19日の巨人戦の二番手で6イニングを投げたばかり。中2日でのスクランブル登板に過度の期待をかけるのは難儀というものだ。

 広島の先発、外木場は絶好調だった。威力のあるストレートと、大きく割れて落ちるカーブの緩急に中日打線は的を絞ることができず、ぽつぽつとランナーを出すのが精一杯という感じ。9回も1死一、二塁のチャンスを作りながら後続が倒れて得点ならず。今季3勝を献上している中日キラーの前に手も足も出ずという具合だが、それを上回る投球をみせたのが三沢だった。

「前の広島戦が100点満点ならきょうは95点。しかし、きょうサインで食い違ったのはたった二度。こんなこと滅多にないよ」。女房役の木俣が手放しで褒めちぎる。

 力投型の外木場に対して、三沢は内外角へのカーブとシンカーの揺さぶりで勝負する技巧派だ。ボールのスピード自体は前回完封したときの方が出ていたが、この日は生命線でもあるコントロールが抜群だった。9回まで散発3安打とまったく危なげなく広島打線を翻弄。先頭にヒットを打たれた10回も後続を断ち、終わりの見えない投手戦は「時間切れ」による引き分けもちらつき始めていた。

 10回裏、代打井上が左前打、正岡がバントで送り1死二塁。三沢の代打ウィリアムが三振に倒れた後、高木守は敬遠で一、二塁。バッターボックスの谷木はヤマを張っていた。実は谷木は内角に弱点を持っている。だから外角にボールが来たら、とにかくバットを振ると谷木は決めていたのだ。初球の外角速球、思い切って打ちにいったが球威に押されてファウル。狙いにいった初球を前に飛ばすことはできなかった。この時点で谷木は劣勢に立たされた。

 2球目、外木場の指先から放たれたボールの軌道を見るや、谷木は「おやっ?」と思ったという。てっきり内角を突かれるとばかり思っていたが、やや高めに2球続けて外角球が来たのだ。待つ、という選択肢は谷木にはなかった。思いきりのいいスイングと共に、痛烈なライナー性の打球がレフトを襲う。あらかじめ前進していた深沢も慌ててグラブを掲げたが、ほんの数センチの差で土手を弾き、ボールがこぼれ落ちた(記録はヒット)。ツーアウトだったため二塁ランナーが悠々と生還し、中日は劇的なサヨナラ勝ちで息つまる投手戦に蹴りをつけたのだった。

 10回を投げきった三沢に白星をプレゼントし、なおかつチームの2位浮上を決める一打を放った殊勲の谷木。じつは今年に入ってバッティング練習をやった覚えはほとんどない。キャンプから首脳陣に命じられたのはひたすらバント練習で、浜松キャンプでは連日マシンを相手に約400本の特訓に励んだ。開幕前には異例の「バント安打30本」をシーズンの公約に掲げた、自他共に認めるバント屋である。

 この日も9回、一塁前に芸術的なドラッグバントを決めていた。だからこそバントのないこの場面で、広島バッテリーは谷木の打力をみくびっていたに違いない。しかし谷木は打った。プロ初の猛打賞となる3安打目でゲームを決めたのだ。昨年はわずか9安打、打率1割3分という伏兵にいったい何が起こったのか。井上コーチは言う。

「自信ですよ。巨人戦で(今季)初安打を飛ばしてスタメン入り。あれだけ余裕があれば、あそこでヒットも飛びます」。案外その通りかもしれない。バントであれ何であれ、自信をつけた男というのは得てしていい仕事ができるものだ。

 谷木恭平。小技専門かと思われたその男の存在感は、日に日に大きくなりつつある。

中1xー0広
(1974.6.22)

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