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打つ手は打った

「打つ手は打ってうまくいかなかったのだからしようがないよ」。試合後、5分こもった後に監督室から現れた与那嶺監督は、自分自身に言い聞かせるようにそう呟いた。

 笛吹けど踊らず。野球の監督をやっていればこんなことは日常茶飯事に違いないが、それにしてもここまで極端な日もめずらしい。スコアだけ見れば4対4の引き分けだから、そう目くじらを立てるほどのことではないのかもしれない。序盤の2点リードを追い付かれるのだって、言ってしまえばよくあることだ。

 したがって与那嶺監督の嘆きを知るには、得点、ヒット、エラーの数が記された無味乾燥なスコアボードを眺めるだけでは足りず、より具体的な中日の用兵に着目せねばならない。与那嶺監督が勝負を仕掛けたのは6回裏のことだった。

 柴田のソロでたちまち1点差に詰め寄られた中日。おそらく与那嶺監督は、巨人相手にこのまま体よく逃げ切れるとは考えていなかったはずだ。だから追加点を取る必要がどうしてもあった。この回、先頭の木俣が左前打で出るとすぐさま代走の西田を送ったのはそのためである。まだイニングは6回。無死からシングルが1本出たくらいで不動の正捕手を代えるのはセオリーに反した采配に違いないが、それほど与那嶺監督は “次の1点” を欲していたのだ。

 1死から今度は広瀬の代打井上が続いて一、二塁。ここも井手が代走に出てくる。さらに9番松本の代打江藤もヒットで満塁。ここでも伊藤泰憲が代走に送られる。走者全員が代走というめずらしいシチュエーションになり、打席は1番に返って高木守。代打2人、代走3人を矢継ぎ早に使ったのだから、どう転んだって1点は取りたい、取らなければならない場面だ。

 しかしこの高木守が初球のボール球をひっかけて三ゴロ本封に倒れてしまう。ネット裏の坪内道則が「なにも打ち急ぐことはなかった。高木守としては “ぬかった” ことをやったものだ」と憤慨する早打ちでアウトを一個献上。続く谷木が一直で、またとないチャンスはあっけなく潰えたのだ。

 さらに7回、先頭で二塁打を打った谷沢に白滝政孝が代走に送られる。続くマーチンが敬遠で一、二塁。確率的にも今度こそ最低1点は入るだろうと誰もが考える場面だ。ここで5番大島は送りバントを試みる。投手前ではあるが、それほど悪いバントではない。だが二塁走者・白滝のスタートが若干遅れた。ベース際のスライディングも鈍く、あえなくバント策は失敗に終わった。たしかに谷沢はアキレス腱に不安を抱えるが、経験の浅い白滝を使うには少々シビアな場面だったろうか。

 それでもまだ1死一、二塁。本来ならここから木俣、藤波と続くわけだが、前のイニングの矢継ぎ早の交代が祟って正岡(遊)、新宅(捕)とスイッチしていたのも巡りの悪さを感じさせる。淡い期待も虚しく、ここも無得点。押しの1点がなかなか入らない。

 なんとか逃げ切りたい中日は、8回の守備からマーチンに代えて大隈を送り、一塁に据えた。1番から8番まで主力と呼べるのはもう高木守、大島くらいで、もはや中日のオーダーは二軍が戦っているのと大差ない顔ぶれになっていた。勝てばそれも笑い話になるのだが、星野仙が8回2死一、三塁で長島にやられて追い付かれてしまったから笑えない。残されたメンバーで勝ち越しを望むのは酷。もはや手づまりである。

 最後は時間切れで10回引き分けとなったが、負けなかっただけ良しというのが中日ベンチの率直なところだろう。勝てば2位浮上だっただけに、試合終了の瞬間、与那嶺監督は天を見上げて無念を露わにした。

 ただ、積極采配はいつだってリスクと表裏の関係にある。なぁにこんな日もあるさ。そうやって割り切れればいいのだが……。

中4ー4巨
(1974.6.20)

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