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若き千両役者

 この日、公式戦では初めて「1番サード」でスタメンに入った長島はいつも以上に元気だった。

「僕の野球人生で1番はファーストタイム。ハッスル、ハッスル」と力こぶを作るパフォーマンスで沸かせると、試合前に自分と同じ三塁を守る大島康徳に「今日は行くぞ!」と気合いをかけたりもした。もちろんこれは自分自身を鼓舞するための言葉だったはずだが、23歳の若武者が憧れのミスタージャイアンツの “激励” に感化されないはずがない。

 大島は大島で目の前のことに必死の毎日が続いている。2年連続二桁ホーマーを記録した昨年オフ、大島はいよいよ不動のレギュラー獲りだと目の色を変えて練習に励んでいた。周りも大方、そのつもりでいたはずだ。

 しかしドラフトで中日は東都の三冠王・藤波を指名。さらにチーム強化に余念のない与那嶺監督はみずからハワイまで足を運んでマーチンとの契約にこぎつけた。もちろん昨季10ホーマーのウィリアムのチーム残留は早い段階で決まっていた。レギュラー格の井上、4番候補のマーチンは当確。大島には残り1枠を担うだけの実力こそ備わっていたが、こういう場合は契約のシビアな外国人を優先的に使うのが球界の習わしである。開幕からしばらく大島はベンチを温める日が続いた。

 愚痴の一つも言いたくなるような状況でもグッと堪えて気丈に振る舞ってきた大島に、ようやっとチャンスが来たのが今月初めのことだった。札幌で足を負傷した島谷の代役に抜擢されたのである。でもポジションは外野ではなくサード。ガッツある大島は、慣れない内野でノックの嵐を浴びる日々を過ごしている。


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 中日、巨人のスコアはきれいな相似形を描いていた。初回に2点、3回に1点、そこからは互いにヒット1本ずつで0行進。9回を迎えてなおどう転がるのかまったく読めない展開も、巨人が好投の小林繁を代えたことで少しばかり様相が変わりつつあった。この回からマウンドに上がったのは倉田誠だった。先月末からようやく復帰した昨季の20勝ピッチャー。病み上がりとはいえ、昨年中日は1勝7敗と大苦戦した相手だ。

 苦手意識を払拭したいところだが、先頭のマーチンが三振に倒れる。しかし、試合前のノック練習中に左足首を捻挫した井上に代わり、この日急遽スタメンに入った谷木が意表をつくバントヒットで出塁。ここで打席に大島が入る。ここぞの場面にめっぽう強く、一発長打が魅力の若大将の登場にスタンドも “やんや、やんや” の大騒ぎである。

 熱気あふれる中でカウント1ー1からの3球目。外角寄り低めのストレート、大島が「一番好き」と語るボールを真芯で捉えたが、やや振り遅れ。それでも打球はグングンと伸び、勝利を待つ竜党の大歓声に乗ってライトスタンドへと吸い込まれていった。

「まさかスタンドに入るとは思ってもみなかった。スタンドがワッときて、やっとこりゃ大変なことをしたと思いました」と大島は声を震わせながら振り返った。

 大島の本塁打といえばガツンとレフトスタンドに放り込む打球が大半を占める。この日の一発は通算37ホーマーのうち2本目のライトへの打球だった。そんなめずらしい一発がここ一番で飛び出すのだから、やっぱり大島くんは千両役者だ。代役にはもったいないほどの勝負強さ。もちろん大島自身も、いつまでも代役に甘んじているつもりはない。

「故障者が出てきてもポジションを奪いとるきっかけにしたい」。この夜の活躍を見れば、もう誰も大島を代役になどしておくはずがあるまい。

中5xー3巨
(1974.6.19)

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