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神風が吹いた!

 雨で流れた昨日のゲームの振り替え開催とあって、月曜夜にわざわざ川崎球場へと足を運ぶ物好きはそう多くはいなかったようだ。この日の入場者数はわずか3千人。これも主催球団が見栄を張って下駄を履かせることが慣例となっているため、実際の観客数は1千人そこそこといったところか。深緑色のシートが剥き出しになったスタンドに、まばらに点在するファンの姿。そのうち一体何割の人が、ゲームそのものを心待ちにして訪れたのだろう。

 暇だったから。たまたまやってたから。晩酌のついでに……。両軍の熱心なファンはごく一部で、ほとんどの人たちがいい加減な動機で足を運んだであろうこの試合。しかし彼らは最終的に、瞳孔を見開き、手に汗を握りながら試合の行方を見守ったはずだ。野球は9回2アウトからーーそんな言い古された格言を体現するかのように、今夜中日ナインが見せた執念はまさしくドラマチックそのものであった。

*   *   *

 序盤、ゲームを支配したのは昨夜に続いて大洋だった。先発松本の調子が今ひとつと見るや2回、シピン2ラン、伊藤勲が連続弾を浴びせて先手を取った。6被安打の松本はこのイニング限りで降板。エース登板で必勝を期したはずの中日は、この日もリリーフの総動員を余儀なくされた。昨日の稲葉はともかく、松本までもが早々とマウンドを降りることになろうとは。いささか想定外の展開だと言わざるを得ない。

 一方、中日打線は相手のエース平松の前に手も足も出ず、4回まで6三振を取られて一人の走者も出塁できない無様な展開となった。それでも簡単には倒れないのが今の中日だ。3点ビハインドの5回表、先頭のマーチンが15球も粘って中前打を打つと、続く谷沢が4球目を右方向にライナーで2ラン。さらに6回表にも代打広野の今季1号弾が飛び出し、じわじわと1点差にまで詰め寄った。

 その間、頑張ったのがリリーフ陣だ。3回から登板の水谷は3イニングをエラーによる1点だけに留め、6回は竹田が2日連続の好救援。7回からは切り札の鈴木を投入する必死の継投で大洋の勢いを堰き止めると、7回表に2死満塁からウィリアムのタイムリーが飛び出して同点に追いついた。あれだけ打ちあぐねた平松をノックアウトしてしまうのだから、打線の勢いは本物だ。

 ただ、8回に鈴木が不覚をとった。伊藤にこの日2本目の一発を浴び、勝ち越しを許したのである。カウント0-1から安易に取りに行ったストライクを狙い打ちされた格好だ。粘りの中日といえど、さすがに今夜はこれまでかーーにわかに諦めムードが漂う中でゲームはいよいよ最終回を迎えた。

 1点を追う中日は先頭の谷沢がフルカウントから右前打。すかさず代走三好が送られる。待望の無死走者に沸き立つ中日ベンチ。「打て」のサインに気負いすぎたのか、大島は空振り三振に倒れたが、その間に三好が盗塁して1死二塁。図らずも犠打を決めたのと同等のシチュエーションとなった。続く島谷がよく選んで出塁。与那嶺監督が忙しなく「代打、新宅」を告げる。“四球直後の初球を打て” の鉄則に従った新宅だが三飛に倒れ、2死一、二塁。

 徳俵に足がかかっても、中日はあきらめない。またしても与那嶺監督がベンチから姿を現し、「代打、西田」を主審に告げた。この日7人目の代打。そしてこれがベンチ入りする最後の野手だった。残るのは投手の佐藤だけ。まさに後先考えない総力戦である。

 西田暢は今季7安打、打点0。代打とはいえ期待値は限りなく低い選手だ。ある意味で捨てっぱちの起用だが、当人は意外にも冷静だった。

「とにかく最後の打者にならなければいいと、それだけを考えていた。追い込まれるまでは外角に的を絞っていたが、あとは無心に、来る球を待った」

 カウント2-2。ど真ん中にカーブが来た。打球がやや前寄りに守っていたセンターの頭を超えてゆく。

「普通のシフトなら簡単に捕っていた。西田は右中間によく打つので右寄りに守っていた。惜しいね」(中塚)

 それに加えて、台風16号の余波で左方向に強風が吹いていた。非力な西田の打球はもろに風の煽りを受け、ちょうど野手のいないところにフラフラと落ちた。

 神がかり的な逆転劇。しかも最近はレギュラー陣だけではなく、無名の選手たちがここぞとばかりに大仕事をやってのける。打たれた小谷は「なぜあんなヤツに打たれたんだろう」と首を傾げたが、今の中日にレギュラーや補欠といった序列など無いに等しい。ベンチ入りするメンバー全員が一丸となって戦う。この全員野球の姿勢こそが快進撃を支えているのだ。

「ちょうど9回、ウチの攻撃が始まる前、スコアボードに巨人が負けたことが出た。あれでボク自身もグッと燃えたんだ」と与那嶺監督。これで1ゲーム差。V10阻止が再び現実味を帯びてきた。

洋5ー7中
(1974.9.2)

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