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渦巻き投法

 昨日、痛い逆転負けを喫したあと、与那嶺監督は嘆いていた。「巨人戦や阪神戦は黙っていても選手たちがファイトを出してくれる。ところが他の球団だとちょっと気が緩むのかね」。これに近藤コーチも「下位のチームの取りこぼしを最小限に抑えねば」と同調した。星勘定のうえでは単なる一敗にすぎないが、これを克服しなければ優勝はない、そう確信しているからこそ余計に歯がゆいのである。

 やがて雌雄を決することになるであろう巨人はこの時点で対中日、対阪神こそ2勝5敗と負け越しているが、下位相手になると9勝4敗としっかりマイナス分を埋め合わせている。このあたりがV9球団の “ペナント巧者ぶり” というか、王者たる所以なのだろう。ONのような強打者も江夏のような超エースも持たない中日が優勝を望むには、なおさら “拾える試合は拾う” という意識の徹底が求められていた。

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 宮城球場のグラウンドはお世辞にも整備が行き渡っているとは言えなかった。デコボコの内野はイレギュラーが生まれやすく、昨日は谷沢、そして高木守までもが “みちのくの魔物” に足をすくわれた。奥羽山脈から吹きつける強風もくせものだった。打たせて取る投球の渋谷幸春は、この球場との相性が最も悪いタイプの投手である。

 “渦巻き投法”、出身地の鳴門にちなんで渋谷のピッチングはそう呼ばれていた。先発、リリーフどちらも卒なくこなし、絶対的とは言わずとも安定してイニングを稼げる。渋谷がチームを下支えする不可欠な存在であることは、誰しもが認めるところだ。

 だが、さしもの渋谷とてこの球場では一筋縄ではいかないだろうーー渋谷の投球の特性からしてネット裏の評論家やマスコミ関係者がそう予測するのも無理はなかった。では当人、つまり渋谷はどう感じていたのか。「いま僕は最高に調子がいいから、初めからどんどん積極的に攻めたほうがいい。このグラウンドでは別に少々の失点を恐れることはない」と言うのだ。

 エラーが出るのは織り込み済み。完璧を求めず、余計なことは考えず、ミットめがけて投げるのみ。その言葉どおり、渋谷は序盤からテンポよくアウトを重ねていった。得意のスライダー、カーブ、シュートがおもしろいようにコーナーに決まり、気づけば5回まで一人のランナーさえ許していなかった。この球場では約半年前にロッテの八木沢がノーヒットノーランをやっており、スタンドでは2年つづけての快挙達成を期待する東北のファンがにわかにざわつき始めていた。

 しかし夢はあっけなく破れた。6回一死からなんでもない内野ゴロをサード島谷がはじいてしまったのだ。これが星野仙なら激昂してグラブを叩きつけそうなものだが、渋谷は「どっちみちこのグラウンドではエラーやイレギュラーは出ますから」とケロリとしたものだった。実際このあともランナーこそ背負いつつ要所を締めるピッチングで巨鯨を寄せつけず、渋谷は今季初完封で4勝目を飾った。

 この勝利をもしかすると渋谷以上に喜んでいたのが与那嶺監督だった。「きょうの1勝は大きい。ここでうちが取りこぼしなどしていたら、これまでの苦労が水の泡になるところだった。渋谷がほんとによく投げてくれた」。最近、渋谷が先発登板した3試合はいずれも敗戦のあと。それを全て勝っているのだから、首脳陣からの信頼が厚いのも当然のことだ。

 試合後、6回途中で途切れた “記録” についてあらためて聞かれた渋谷は涼しい風でこう答えた。「パーフェクト? とんでもありません。チームが勝てばいいんですから」ーー。

中7ー0洋

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