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勝負の仙

「今日は勝負よ。仙でいく」

 雨天中止から一夜明けた甲子園。普段は慎重派でめったに強気を表に出さない与那嶺監督だが、この日は並々ならぬ闘志を隠そうともしなかった。約一ヶ月ぶりに星野仙一の先発復帰に踏み切ったのも、この一戦を前半戦最後のヤマ場と捉えているからに他ならない。

 これ以上負けられない阪神は江夏豊を先発に立てた。いわゆるエース対決だが、中日ベンチには臆するような雰囲気はいっさい無かった。

「おい江夏だ、カモが来たぜ」。メンバー交換から戻った井上コーチの言葉に「よし、行こう!」と誰からとなく威勢のいいかけ声がかかる。チーム一丸となって何としても首位を奪うのだーー今の中日にはそんな迸(ほとばし)るような勢いがある。

 星野仙が先発を告げられたのは前夜だったという。先発は6月4日の阪神戦以来。このとき派手に打ち込まれたせいでリリーフへの配置転換となったが、その後は安定した投球をつづけて首脳陣の信頼を取り戻した。なによりも、“ここぞ” の試合でめっぽう強いことを知っているからこそ、首脳陣は大事な一戦をこの男に託したのである。

*   *   *

 緊迫した空気が漂う中、試合が一気に動いたのは4回表のことだった。阪神が無死一、三塁を逸した直後、“ピンチのあとにチャンスあり” の格言どおり中日打線は一気呵成に江夏に襲いかかった。

 先陣を切ったのはマーチンだ。2回にも先制点につながるヒットを放っているが、この第二打席ではカーブにうまく反応。ライトスタンドに弾丸ライナーで突き刺す第18号ソロを放った。

「日本の代表的な左腕であることは聞いていた。でもスピードがないね。ヒットはストレート、ホームランはカーブ」。いくら今年の江夏は調子が悪いといえど、初見で簡単に攻略できる投手ではないはずだ。それだけマーチンが勢いに乗っている証拠か。何しろ江夏が左打者に本塁打を打たれるのは、現役では巨人の王、大洋の中塚に次いで三人目だという。当代屈指の “左キラー” を難なく打ち崩したこの男、今となってはシーズン前の悪評(迫力不足、あの構えでは打てない等々)がウソのようだ。

 つづいて5番木俣は、気を落とした江夏の表情をみて「スーッとくると思った」という。読みどおりの初球、力のない真っすぐを狙いレフトスタンドへと運ぶと、さらに7番大島にも追い打ちの4号ソロが飛び出した。なんとこのイニングだけで3本目。江夏が1イニング3アーチを食らうのはプロ入り初の屈辱だという。「カモ」というのもあながち大袈裟ではない。

 これだけ味方が打ちまくれば星野仙の投球もいつも以上に冴えるというもの。ピンチらしいピンチは3、5回だけ。5回に1点こそ許したが、ゆるいカーブを中心に緩急を織り交ぜて阪神打線を翻弄した。

 終わってみれば6安打1失点完投勝ち。140球という球数を感じさせないほど余裕綽々のピッチングに、近藤コーチも「無理を承知で星野仙を起用したが、よくこの期待に応えてくれました」と手放しで褒め称えた。

 特段阪神に弱いイメージはないが、実は星野仙が甲子園で勝つのは44年9月8日以来、なんと5年ぶり。しかも単なる勝ちではなく、指揮官が「今日は勝負」と位置づけた大事な一戦での好投である。さぞかし鼻高々だろうと思いきや、「正直いって自信がなかった。とにかく(体力が)持つところまで頑張ろうと自分に言い聞かせながら投げたんです」と意外にも控えめ。やはり一ヶ月ぶりの先発9イニングは星野仙といえども相当な負担があったようだ。

 目下、オールスターのファン投票では投手部門の首位を快走中。もし選出されれば杉下茂、権藤博も成し得なかった球団初の快挙となる。

神1ー6中
(1974.7.7)

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