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ヒーローになり損ねた男

「もらったチャンスだもんね。一発出てりゃ楽勝だったからね」。試合後、大洋宮崎監督が振り返ったのは8回裏の自軍の攻撃のことだ。

 大洋が2点リードで迎えたこのイニング、ここまで11安打4失点と調子の悪い松本幸行は投球だけではなくフィールディングでも精彩を欠いた。7回にバントの処理ミスがきっかけで失点したのに続き、ここでもバントを一塁へ高投。さらにワイルドピッチ、四球で無死満塁のピンチを招くと、さすがにベンチも交代に動かざるを得なかった。

 ここで火消しに現れたのが渡部司である。入団当初は稲葉、星野秀と合わせて “若手三羽烏” と期待されたが、46年の17登板をピークに年々出番は減少。今年は主に敗戦処理を任されている。いきなり無死満塁でマウンドに駆り出される心境など常人には想像もつかないが、十中八九は失点するであろう過酷な場面でも平静を装ってマウンドに向かうのが敗戦処理、すなわち渡部の仕事なのだ。

 果たして渡部は、この無理難題とも思える “無死満塁の火消し” をみごとに成功させてみせた。このところ当たっている大洋打線を寄せつけない好リリーフ。惜しまれるのは、この試合に中日が負けてしまったことである。

 9回、中日はマーチンの右翼スタンド最上段の看板をはるかに越える場外ホーマーでたちまち1点差に詰め寄った。ゲーム終盤の劇的勝利がお家芸になりつつある中日。今夜も逆転なるかーーそんな期待が膨らむなか、ヤクルト若松を追い抜いて首位打者の座に君臨する木俣が1死から左前打で出塁すると、俄然逆転ムードが色濃くなる。

 逆に、三塁ベンチの宮崎監督は見るからに肝を冷やしていた。帽子をとって頭をガリガリと掻いたり、身を乗り出したかと思うと奥へ引っ込んだりと、そわそわして落ち着かない。前の回、勝負を決める絶好のチャンスを逸したことで、宮崎監督は気が気じゃなくなっていた。

 1死一塁。中日は代打江藤を送り出す。こういう場面では最も頼りになる切り札的な存在。宮崎監督など「見ちゃおれん」という感じでプイと横を向いてしまっている。どんなときもデンと構えるのが監督たる者の矜持なら、この宮崎監督はひいきのピンチになるとテレビのチャンネルを変えてしまう気弱なファンに近い感性の持ち主のようだ。

 ところが果敢に打ちにいった江藤の打球は投手のグラブに収まり、投ゴロ併殺であえなくゲームセット。えびす顔に早変わりした宮崎監督はズボンをたくし上げると、マウンドの竹内のもとにすっ飛んで行った。これで4連勝、借金完済まで残り2個とした宮崎監督は「いやあ、9回はイヤだったねえ」と首をすくめながらも笑いが止まらない。

 一方、負けた中日にも悲壮感はない。ハーラートップの松本が自身のミスで不覚をとり、打つ方も「竹内がよかった」(江崎スコアラー)の一言であきらめがつく。ある意味すっきりした負けゲームだから、後腐れも残らないというわけだ。

 かわいそうなのが渡部だ。もし逆転勝ちなんてことになっていれば、「流れを引き寄せた好リリーフ」として8回の火消しは脚光を浴び、渡部は一躍ヒーローになっていただろう。

 ところがゲームに負けてしまえばどんな大仕事も日の目を見ることもなく、ニュースや新聞でもさほど触れられることもないまま忘れ去られてしまう。やはり勝負事は勝ってこそ。歴史というのは勝者を中心に語られるものなのだ。

 だからこそ声を大にして言いたい。勝利だけがプロ野球ではないのだと。日陰者の支えあってのペナントレースなのだと。50年後の球団史に残るはずもない渡部の好投を、ここに刻んでおきたい。

大洋4ー3中日
(1974.6.25)

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