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負けて、なお反骨

 勝ち運に見放されていた稲葉光雄が先月、約十ヶ月ぶりの白星を手にしたが、ある意味で稲葉よりも苦しい状態にあるのが巨人の高橋一三であろう。なにせ昨季は300イニング以上投げまくって23勝を挙げる大活躍。巨人V9の立役者は間違いなくこのサウスポーだった。

 その高橋が今季は投げても投げても打ち込まれ、前半戦も終わるというのに未勝利とは、にわかに信じがたい。2軍降格したとき、夕焼けを背に多摩川をランニングする姿はどこか哀愁すら感じられたものだ。

 世間では舶来映画『エクソシスト』が若いカップル達を中心にして大変な話題になっているそうだが、それこそ高橋はトレーニングや走り込みよりも悪魔祓いをした方がいいんじゃないか? そんな冗談とも本気ともつかない軽口が囁かれ始めているとか、いないとか。

 本来なら自信を取り戻すまで2軍でのびのび投げさせるべきなのだろうが、今の巨人先発陣にはそれを許すほどの余裕はない。エース堀内は負けが先行と頼りなく、昨季18勝の倉田は病み上がりで本調子には程遠い。関本、小林、新浦、玉井といった若手の頑張りでなんとか形にはなっているものの、疲れが出てくる後半戦の行く末は未知数だ。

 つまり悲願のV10に向けて高橋の復調は絶対条件であり、呑気に待っていられないのが実情なのだ。

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 カクテル光線の照らすスタジアムに4万を超える大観衆。華やかなプロ野球の世界においても、とりわけ後楽園球場の巨人戦は特別な空間である。実は三沢淳はプロ入り以来、まだ後楽園で勝ったことがない。ノンプロ(新日鐵広畑)時代は都市対抗に出場し、この球場で小野賞まで獲得しているというのに、どういうわけか過去9度、いずれも不本意な投球で勝利から見放されているのだ。

 だから相手の先発が片目の開かない高橋だと聞いても「嫌な気がした。そろそろ相手も勝つ頃です」と、かえって不安になったほどだ。社交的な三沢は先発前夜であっても朝方まで飲み歩くのが常なのだが、この日は早めに帰宅し、さっさと寝てしまったという。こんなところにも後楽園への妙な意識が垣間見える。

 そんなわけでこの巨人×中日十三回戦は、勝利に怯える者同士の先発対決となった。リリーフ戦にもつれ込まない限り、どちらかが待望の(意味合いこそ違うが)1勝を手にすることになる。どんな面白い戦いになるのかと思いきや、勝負は案外あっけなく決まってしまった。

 2回、2死一塁とした巨人が河埜の一塁強襲安打を皮切りに6安打2四球、打者11人で大量8点を奪う猛攻で三沢を早々に引きずり下ろしたのである。前夜の中日は松本、渋谷、星野仙のいわゆる “三本柱” をつぎ込む執念のリレーをみせた。これは頼れる三沢に翌日を託すことができるからこその采配でもあった。それが序盤ノックアウトでは、中日ベンチとしてはアテ外れも甚だしい。

 球場への苦手意識、必勝のプレッシャー……。三沢が打たれた理由は幾つかあれど、打線爆発の最大の要因は「巨人の目の色が変わってきたから」だとネット裏の杉下茂は指摘する。きっかけになったのは、やはり9日の大洋戦での川上監督の退場事件であろう。

 沈着冷静、冷酷無比な川上監督があれほどまで感情をあらわにして審判に食ってかかったのは初めてのこと。“打撃の神様” と称される偉大なる野球人のゲバルトは、ある意味で球史に残るシーンでもあった。あの光景を目の当たりにすれば、いまいち覇気のなかった巨人ナインの背筋がシャンとするのも当然のことだ。

 あれ以来、巨人は阪神、中日を相次いで破り、負けなしをキープしている。もしV10を果たした暁には “チームが変わった日” としてクローズアップされるに違いない。

 なんだ、結局中日と阪神は今年も巨人のかませ犬か、情けないーーこんなことを言わせないためにも意地を見せたい中日は、6回までに14失点とボロボロになりながらもファイティングポーズを取り続けた。鬼の形相でナインを叱咤した与那嶺監督の情念が、死に体の中日ナインを生き返らせたのだ。

 7回表、今季初勝利を確実にした高橋一三に対して、恐竜打線が襲いかかった。1死一塁からマーチンが右翼20号2ラン、木俣、谷沢の連打で高橋をノックアウト。さらに代わった玉井も打ち込み、一挙5点の反撃。焼け石に水かもしれないが、少なからず巨人にダメージを負わせた。

 高橋は18登板目にしてようやく初勝利を手にしたが、よもやこの展開で途中降板とはベンチも計算外だったはずだ。高橋自身は「これで連敗を気にしなくていいから楽ですよ」などと強がったが、6回⅓を投げて7失点では胸を張れるわけもない。事実、川上監督の口からは「点をもらってから20勝投手の面影がなくなったな」と突き放すような言葉が出たのみで、初勝利の祝福などは一切なかった。

「ボクはみんなに絶対、あきらめてはいかんと言った。負けたけど、これからまだあるからね。打ち合いでは負けないと自信を持った。それが大きいよ」。敗戦の弁とは思えぬ与那嶺監督の前向きなコメントは、勝ったのにどんよりした雰囲気が漂う巨人とは好対照に映る。

 負けてもタダじゃ転ばない。ナインが見せた反骨心に満足感すら伺えるようなウォーリーの表情であった。

巨14ー8中
(1974.7.17)

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