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プロローグ

この世の中、右を向けば紙不足。左を向きゃア洗剤不足。街に出てみりゃ物価高。それに加えて、電気・ガスの時間制限ときちゃア、世の中は文字通り、まっ暗ヤミ。正月休みも、オイル不足。温泉もぬるいとか。まったくどうすりゃいいのか思案橋。いやな世の中になったものでございますねぇ。

昭和49年1月6日号 サンデー毎日

 戦後29年が経ち、日本経済は大きな曲がり角を迎えようとしている。昨年来の原油高は庶民生活にも暗い影を落とし、トイレットペーパーや洗剤等、モノ不足による社会不安は拡大し続けている。右肩上がりの成長をみせてきたこの国の発展にも急ブレーキがかかった。

 そんな先行き不透明な世の中だからこそ、庶民にとって日頃の鬱憤を発散できる娯楽の存在は重要になってくる。“娯楽” といえば、ひと昔前までは映画と落語が王様だった。しかし終戦以降のプラス成長を経て庶民家庭にテレビが普及してからというもの、その座にはプロ野球がデンと居着いて久しい。

 テレビの普及を強烈に後押ししたのは、昭和34年の皇太子殿下と美智子妃殿下の御成婚パレードの放送だったとされる。時をほぼ同じくして、当代一の大スター、長島茂雄と王貞治があらわれた。この “ON” と称される巨人の二枚看板もまた、プロ野球の発展に大きく寄与したと認めざるを得ない。


 “認めざるを得ない”、と書いた。敢えて憎々しげな表現を用いたのは、実に9年にも及ぶ長すぎる巨人軍の春、これにいい加減、ピリオドを打たねばという強い危機感から来るものである。

 前年、阪神タイガースがあと一歩、もう一歩のところで滑落した。シーズン最終戦、130試合目のできごとだった。「惜しかった」と賛辞を送るのは簡単であるが、後世には “巨人軍V9成る” という史実だけが残る。敗者の健闘など見向きもされず、やがて忘却の彼方へ追いやられるのが世のならいだ。

 巨人は強い。だが、あいかわらず猛打をふるう王はともかく、長島の顕著な衰えは、いかに読売、報知各紙が楽観主義を取り繕おうと、はっきりデータ上に表れている。「ONを抜きにすれば実は平凡なチームだ」と語る評論家は少なくない。そのうちの “N” が風前の灯だとすれば、V10の可能性はそれほど高くないのではなかろうか。そしてセ・リーグを見渡したとき、この巨人を食い止められる球団は阪神、そして中日の2球団に絞られる。

 しかし阪神には過去の終盤での失速に起因する勝負弱さが、まるで厄介なカビのようにベッタリと付着している。そのうえ “伝統芸” と揶揄されるお家騒動がつきまとう。そうなると、 “打倒・巨人” 、すなわち優勝を実現できるのは、与那嶺要監督の下、着実に戦力が整いつつあるドラゴンズをおいて他になかろう。

 V9期を通じて2年連続で巨人に勝ち越したのは昨年、一昨年の中日が唯一である。中日も少し前まではカモにされていたこともあるが、それも過去の話。今では互角かそれ以上の力を付け、現実的に優勝を狙える位置にいる。29年の日本一を知る近藤貞雄ヘッドコーチは、「うちは巨人に負けないが、ほかの広島、ヤクルトがコンプレックスを持っている。みんなが一致団結して巨人粉砕を目指さないと目標は達成できない」と語気を強める。

 栄えある開幕投手には星野仙一が内定した。入団6年目で初めての大役を担うエースは、ただ一言「男は黙って勝負する」と静かに闘志を燃やす。この日、小山球団社長、中川、宮岸両重役、それに与那嶺監督、コーチ以下全選手(ウィリアム、マーチン両外国人を除く)が名古屋市・熱田神宮での参拝を済ませた。

 すべての準備を整え、いざ開幕へ--願いはもちろんただひとつ、20年ぶりの優勝だ。

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