見出し画像

宮崎中尉の戦陣訓

 阪神との死力を尽くした延長ゲームを戦った中日は休む間もなく3日午前に名古屋駅を出発。東京・上野から特急ひばりに乗り継ぎ、仙台に到着したのは午後7時すぎだった。翌日から杜の都で大洋と2試合を消化したあと、移動日を挟んで広島、名古屋とつづく6連戦が待ちうけるハードスケジュールが組まれている。

 肉体的な疲労こそあれど大連戦を勝ち越しで乗り切り、気力充実の首位中日。対する大洋は目下4連敗中の最下位。前日も後楽園で一方的な負けゲームを演じており、新任の宮崎監督は早くも正念場を迎えていた。中日にとっては絶対に取りこぼせないカードというわけだ。

 昨年、中日が首位巨人に16勝10敗と圧勝しながら3位に甘んじた要因がまさにこれだった。巨人戦に全力を注ぎこむあまり、格下であるはずの大洋やヤクルトにコロッと負けることがあった。対して巨人は中日や阪神と死闘を繰り広げたあと、しっかりと下位球団相手に勝ち星を拾っていく。いわば “取りこぼし” をしないのだ。このようなしたたかさこそが長丁場のペナントレースを制するうえで必要な、ある種のコツなのだろう。

 ではこの試合の中日はどうだったか。出場した選手たちは心の片隅にもいっさい油断がなかったと言い切れるだろうか。連戦疲れ、慣れない地方球場といった悪条件が言い訳にならないことは、選手たち自身が一番よくわかっているはずだ。

 試合前、戦時中は陸軍中尉だったという大洋・宮崎監督はベンチに選手を集め、戦陣訓で発破をかけていた。

「戦争でもそうだがここで弱気になったら敵の攻撃に死ぬだけだ。負傷兵(故障選手)をかばうのも必要と思うが、いま大事なのは各自が自分の力を出し合い団結して戦うことだ。死にたくなかったら全員で突進しようじゃないか」。いささか時代錯誤の感は否めないが、これで大洋ナインの目の色が多少なりとも変わったのは確かなようだ。

 旗色が悪かったのは序盤だけ。4回に逆転して以降は中日リリーフ陣に襲いかかり、7回にはスクイズを決めるなどやりたい放題で中日を蹴散らした。順位どおりの大洋であれば1、2回の3失点でさっさと撤収準備に入っていたはずだが、この日の “宮崎部隊” は集中力が違った。やはり戦陣訓が効いたのだろうか。

 かたや中日は谷沢のエラー、マーチンの落球、さらに名手高木守までトンネルをやらかす始末。これではどちらが最下位なのかわからない。ターニングポイントになったのは4回裏だった。先発三沢は1死一、三塁のピンチで中塚を二飛に打ち取るも、つづく江尻を怖がって敬遠気味の四球を与えてしまう。ベンチの指示は「勝負しろ」だったが、「ボクは江尻さんによく打たれてますから自信がなかった」のだという。

 満塁で打席に入ったシピンを三沢は昨季1割台に抑えていた。そうした相性もあったのだろう。しかしストレートの四球のあと、バッターは必ず初球を狙ってくるものだ。「内角を狙ったんですが、ボールが曲がらず真ん中に入っちゃった」と語る甘いカーブをシピンが逃すはずもなく、打球は追い風に乗ってレフトスタンドに舞い落ちた。逆転グランドスラムである。

 三沢はあまりにも不用意だったと言わざるを得ない。ただし、元を辿ればこの満塁も高木守のエラーから始まったものだった。負けることは仕方ないにせよ、負け方がよくない。チーム全体の士気が今日に限っては大洋に劣っていたということだ。

 そんな中で気概を燃やしたのが8回に登板した鈴木孝政だった。約1年ぶりに一軍マウンドに立った19歳の若武者は、何食わぬ顔で大洋打線を黙らせた。不甲斐ない先輩たちをよそに、その存在感はひときわまばゆい輝きを放っていた。

洋9ー6中

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?