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孝行者

 この日、広島球場は熱気にあふれていた。ここ最近、カープの星どりは4勝1敗。1.0ゲーム差に迫る中日との直接対決に勝てば、順位が入れ替わりAクラス浮上という重要な一戦である。このカードには珍しく1万5千人の観衆が詰めかけ、スタンドは内外野がびっしり埋まっていた。もちろんその大半がカープの勝利を願って訪れた熱狂的な地元ファンだ。

 しかも広島の先発は中日キラーの金城である。つい先週、福井のゲームでは10安打を打ちながら完封を許した難敵。かたや三沢は衣笠に通算150本塁打を献上するなどめった打ちにされたばかりときた。

 防御率2点台で8勝を挙げる金城と、同4点台で2勝どまりの三沢。順当に考えれば結果は火を見るより明らかだが、三沢には負けられない理由があった。この日、郷里の島根県浜田市から母親、高校の恩師や友人など十数人を招待していたのだ。

「僕はいつもポカが多い。福井でも衣笠の一発でやられた」。そう話す三沢は今季13試合で9ホーマーを浴び、そのうち7本を広島戦で打たれている。相性でいえば最悪。「だから、今日は丁寧に丁寧にと自分に言い聞かせながら投げた」。

 郷里の仲間という何よりも強力な援軍を得た三沢は並いる強打者にも気負うことなく、木俣のミットめがけてアンダースローを躍動させた。6回までに打たれたヒットは初回の1本だけ。その間、味方が2ホーマー4打点と金城を引きずり降ろしたのも三沢にとっては追い風になった。

 好投しているときは不思議とツキにも恵まれるものだ。3回にこんな珍プレーが飛び出した。山本一の当たり損ねは捕手の手前で弾み、フェアかファウルか際どい打球。これを竹本主審は「フェア」と判定し、ヒョイと拾った木俣が一塁に送球。ところがこれが大きく逸れ、悪送球になってしまった。だが山本一はボールのゆくえに目もくれず、球審に「ファウルだ」と猛抗議。その間にライトのマーチンが一塁に返球し、「2-9-3」の変則アウトが成立したのである。

 インプレー中は決してボールから目を離さず、全力プレーを怠るなーー今後、野球教本の事例に載ってしまいそうな珍プレーであった。

 7回以降の三沢はランナーを背負いながらも要所を締めるピッチングでスコアボードに「0」を並べていく。勢いなら広島の方が上のはずなのだが、やはり長年にわたり下位に甘んじてきたチームゆえだろうか。五割ラインに近づくと急に勝負弱くなるのは古今セパ問わず弱小チームの悲しき性である。

 9回は山本浩ヒット、衣笠併殺、そこから連打で最後の反撃に試みるも、西沢中飛でゲームセット。「最後はちょっとバテた」と言いつつ、のらりくらりとかわした三沢は今季初、プロ二度目の完封で3勝目をあげた。試合後は「球がよく走った。こんなピッチングがいつもできれば言うことない」(木俣)、「三沢がよく投げてくれた」(与那嶺監督)と賞賛が贈られた。

 思えば3年前の入団会見で、三沢はプロの目標に「完封」の2文字を掲げていた。普通なら沢村賞だとか最多勝とか大きな夢を語りがちな席で、いかにも堅実な三沢らしい話だ。「これで、わざわざ淳が投げるのを見にきた甲斐がありました」と涙ぐむ母親の貞子さん。立派な晴れ姿を母親や恩師に見せることができたのだから、これ以上の孝行もなかろう。

 チームにとっても、借金転落の危機を救った三沢の好投は大きな意味を持つ。「五割の下は地獄だ」と、かつて口癖のように言ったのは名将三原脩である。かろうじて “地獄” へ落ちずにいるうちに、三沢のローテ固定をはじめ戦力の再編成を進めたいところだ。

広0-5中
(1974.6.15)

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