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渋谷のありがたみ
「なんにも言うことあらへんで。殺生やがな」
ナイターに先んじて行われた阪神とヤクルトのデイゲーム。首位の阪神は6点を先制しながら古沢の乱調で逆転負けを喫した。格下ヤクルトを軽くひねって首位固めといきたかった阪神にとって、北海道遠征での2敗1分けは誤算も誤算。金田監督が言うとおり “殺生” としか表しようのない結果となった。
阪神敗れるーーこの一報を試合前に受けた中日ナイン、そして首脳陣の表情は一様に生き生きとしていた。「面白くなったよ。阪神だってそうはうまくいくわけないものね」と与那嶺監督。暫定的に1.0ゲーム差に詰め寄り、俄然士気が上がる。だが、こんなときこそ要注意であることを指揮官は熟知している。気持ちが高揚したとき、得てして不覚をとるのが勝負事の常なのだ。だから与那嶺監督は釘を刺すことも忘れなかった。
「でも、うちが負けたらなんにもならないよ」
ポツリともらしたこの言葉をナインが敏感に受け止め、ベンチにピリッと緊張感が走った。この監督はメリハリの付け方が本当にうまい。現役時代の大半を常勝軍団で過ごした与那嶺監督は、中日にいる誰よりも勝負事の難しさを知り尽くしている。選手からは親しみを込めて「ウォーリー」と呼ばれる、いつも温厚でにこやかな紳士。だが一方で、誰よりも強い執念を持つ “勝負の鬼” でもあるのだ。
* * *
前日は4回まで戦いながら、中日の攻撃中に雨脚が強まりノーゲームが宣告された。エース松本が早々に先制を許し、また相手先発が難敵の金城だったことを考えれば、中日にとっては恵みの雨になった。一夜明けて両軍は松本、金城をスライドさせず、稲葉、永本を立てた。
永本裕章は3年前にドラフト2位で入団し、本格派右腕として期待された投手だ。しかしプロ初勝利が遠く、今季もリリーフで9登板しているが、この日が初先発。金城を警戒していた中日としては、「なめてきたな。球は速いがコントロールは悪い。打てるさ」と井上コーチが少々浮き足だってしまうのも無理からぬことだ。
中日の速攻はみごとだった。1回表、1死から谷木が四球で出塁、木俣が初球エンドランを決めて一、三塁とし、マーチンが中前タイムリー。井上の三ゴロ失で満塁とした後、今度は谷沢が一、二塁間突破タイムリー。たまらず広島ベンチは木原を救援に送り、永本はわずか24球で降板となった。
去る6月30日の対阪神、今回と似たような攻撃で先発若生をノックアウトしたのを思い出す。王や田淵のような破壊的な存在はいなくても、4番マーチンを軸にして周りのバッターが各々の持ち味を発揮する。与那嶺監督3年目にしてようやく「これだ」と言える打線が完成した感がある。
一方、今後を見据えたうえで不安が残るのが投手陣の状態だ。この日も稲葉は5点の援護をもらいながら広島打線の追撃に遭い、結局4回途中での降板を余儀なくされた。完投とは言わずとも、せめて7イニング程度は投げてもらわねば困る。そうした試合展開だっただけに、次の大洋3連戦で先発が予想される渋谷を二番手で投入したことは、首脳陣にとって大きな計算違いになった。
まったく渋谷の好投がなければゲームはどう転んでいたか分からない。4回の代わりばな、マクガイアに左前へ打たれ、しかもレフト井上の返球ミスで無死二、三塁と一打同点のピンチを背負ったが、ここから圧巻の投球でゼロに抑えたのが、この日の勝因といえるだろう。
6月半ばの腰痛に始まり、今季の渋谷は故障続きでなかなか満足に投げられなかった。その分、後半戦はフル回転が期待されるが、きわどいコースを巧みに突くこの日の投球は完全復調を予感させるものであった。
近藤コーチは「渋谷はコントロール、球威とも申し分なかった。とにかく渋谷の復調は大きいよ」と称賛し、渋谷の重要性をあらためて強調した。
何よりも救援登板とはいえ実に84日ぶりの白星を手にしたことが、渋谷自身の自信回復に大きくつながったに違いない。
広3ー6中
(1974.7.28)
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