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大学4年でサークルの幹部って…

 大学を卒業してもう十年以上になってしまった。
 何て言うことだ。
 漢字検定を勉強していて、今の心境にぴったりの言葉に出会った。
 それがこちら。

偶成 朱熹
少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んず可からず
未だ覚めず池塘 春草の夢
階前の梧葉 已に秋声

 漢検に登場したのは、下二段の「未だ覚めず池塘 春草の夢 階前の梧葉 已に秋声」だったのだ。まさか、「少年老い易く学成りがたし」に続く文章だったとは。
 ちなみに、訳はこんなかんじらしい。関西詩吟文化協会に良い訳があったので、引用させていただく。

若者はアッという間に年をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間でも軽軽しく過ごしてはならない。

 池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、月日は速やかに過ぎ去ってしまうものである。

関西詩吟文化協会より

 つまり何が言いたいのかというと、月日はあっという間に過ぎ去ってしまう!ということ。
 その月日の過ぎ去り方に「春の日の夢が覚めきらないうちに秋になってしまった」と表現する辺り、すごくわかる!と思った。

 自分の学生時代といえば、ひたすらサークルに身を捧げてきたことしか、覚えがない。

 私のサークルは由緒正しい、伝統ある合唱サークルだった。大学創立期からあるサークルなのだから、OGたちの強力なバックも存在するし、常任指揮者は芸大の名誉教授という荘厳なサークルだった。

 母校が同じ母親からは、「あのサークルは大変だから、やめておけ」と言われたものの、上京したてで寂しかった私は、先輩方の優しい言葉につられて入団してしまった。
 そこでできた一部の仲間とは、今でも連絡を取り合う仲だ。けれど、私はここで、自分や仲間たちを苦しめてしまったという思いがずっと拭えないままでいる。

 このサークルは、4年生で幹部を勤める。嘘ではない。本当だ。
 よく、「サークルを途中で辞めず、3年生まで頑張りました!」と言っている人をたまに見かけるけど、甘ちゃん過ぎて笑える。
 私たちは4年の11月でようやく引退できる。
 ちなみに、私たちのサークルと交流がある他大学のサークルも同じ仕組みだった。

 すると、どうなるか。就職浪人する人や、他大学だと留年する人も多かった。とても良いところに就職できた人もいたけど、そういう人は2年生とか3年生の頃から準備していた人だった。

 私たちの代は、創立80周年記念で、いつもより盛大な定期演奏会を11月にやらねばならなくなった。私は、就活のネタになると思ったし、リーダーだったので自分の実績を作るにはちょうど良いと思ってやったけど、私の同期は同じように前向きに取り組める訳ではなかった。
 当然だ。4年生なのだから。自分の一生のキャリアを決める分岐点に立たされているのに、サークル運営を頑張らないといけないなんて、こんなバカな話はない。
 通常時でさえ、4年生の幹部は大変なのに、80周年の記念事業をやれだなんて、今考えると先生もOGも鬼畜だと思う。

 記念事業は、冊子を作ったり、OGと合同のステージをやらなければならなかった(基本的には私が担当だった)。もちろん、先生レッスンには絶対全員参加しないといけない。特に4年生は全員いないと、先生の機嫌は悪くなった。
 でも、自分の将来のために時間を使うのと、サークルに時間を使うのとでは、自分のために時間を使うのは当然ではないかと思う。

 しかし、音楽だけで生きてきた先生にはそれがわからない。

 すごく苦しかった。
 少しくらい揃ってなくても良いじゃないかと思ったけど、音楽家からしたらそんなのあり得ないようだ。
 先生は画家で、私たちは絵の具。一つでも色が欠けていたら、それは先生が描きたい絵を描くとき困るはずだ。
 でも、私たちは音楽で飯を食っていくわけじゃない。
 先生は、「チケット代を取っているのだから、責任をもって練習しろ」と言う。先生の言い分もわかる。責められるのは、真面目に来ている人たち。
 私はリーダーだったから、「ちゃんとやらなきゃ」の一身で、先生の代わりに真面目なことを来ていない仲間の前で主張し続けた。

「ちゃんと時間通りに来て」
「真面目にやって」
「責任をもってやって」

 私にとっては当たり前のことだった。しかし、言われた方にとっては、大分うざい存在だったと思う。「SLAM DUNK」の赤木が真面目にバスケやってるのに、周りがついていけなくて離れていくという話があるけど、まさにあんな感じだった。全員離れていったわけではないけれど、仲間たちの心はバラバラで、そっぽを向かれていたことも多かったと思う。伝えてもわかってくれないことなんて沢山あった。多分、陰で「見苦しい」とバカにしていた人もいたと思う(そんな奴、もう仲間でもなんでもないけど)。
 上手くいかなくて、サークルと関係ない友達に号泣しながら相談したこともあった。突然、ひどいぎっくり腰にもなった。本当に苦しかった。

 だんだん、先生やOGたちのために頑張っているような気がしてきて、自分達のために頑張った、という気持ちは殆ど残っていなかった気がする。 
 
 だから、当時の定期演奏会の音源を聴くと、音はカスカスだし、響きはギスギスしているし、過去4年の中でも最悪な演奏に聴こえる。
 先生も、苦しかったんじゃないかと思う。
 唯一OGと合同のステージだけは人数が多かったので、音が充実していて安心して聴けるけど、それ以外は耳を塞ぎたくなる…。

 同期は6人しかいなかった。
 しかし、ちゃんとコンスタントに来ていたのは私を含めて4人だけ。一つ下の後輩たちは、不運が重なってそもそも2人しかおらず、途中で2人とも辞めてしまった。2つ下の後輩たちはたくさんいたけど、仲が悪く、上手く頼れなかった。

 結局、4人と協力的なOGの力を借りて何とか演奏会を乗りきった。けれど、やって良かったという実感はあまり残っていない。本来なら就活や卒論で頭を悩ませるべきところを、サークルに費やしてしまって、同期に多大な犠牲を払わせてしまった、という後悔しか残らなかった。 本来、みんな好きで始めたことなのに、苦しい結末になってしまって申し訳なかった。

 今なら同期の意見をもっと聞いて、どんなふうに終わりにしたいか、どんな演奏会にしたいか、もっと話し合ったと思う。それを踏まえて、上手くOGを説得して、やらない方向性で先生に相談に行ったかもしれない。それでも良かったのではないかと今なら思う。
 けど、頭が固かった当時は、仲間の気持ちも、自分の気持ちも考えずに突っ走ってしまった。「リーダーとして大きなことをやった」という実績が欲しかったから。自信が欲しかったのだと思う。みんなが犠牲になって、「やって良かったね」と笑顔で語れない実績なんて、あっても仕方がないと気づいたのは終わってからだったけど。

 私はとにかく、周りからの期待に応えて誉めて欲しかったのかもしれない。しかし、なんて自分勝手な発想なんだろう。得するのは自分だけで、周りの仲間のことは一切考えていなかったじゃないか。
 それに、一度しかない人生なのに、他人の期待に応えていい子でいることが重要なのか?そんなことより、自分のやりたいことをやって夢を叶える人生の方が、ずっと良いに決まっていると気づいたのは、大分後になってからだ。

 サークルを卒業してもう十年以上経つけど、そのサークルは私たちが引退したのと同時に先生も変わった。雰囲気も緩くなって、大分様変わりしたようだ。4年生が幹部なのは変わりないようだけど。

 サークルは、本来なら学生たちが勉強や研究の傍ら、楽しむためにやるものなのに、苦しいものになっては本末転倒だ。

 サークルに全てを捧げている状態になったら、少し立ち止まって考えてみるべきだ。そして、周りがなんと言っても、自分や仲間たちが嫌な思いをしないように、みんなが笑って最後を迎えられるように運営していくにはどうすれば良いか、よく話し合った方がいい。

 自分が担任になって受け持ったクラスも、みんなが笑顔で「このクラスで良かった」と思えるように運営していきたいと思う。自分の方針を示しながら、けれど共感と話し合いを大切にしながら。

 


 



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