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自分を理解するための旅

気付かないふりをしていた…のかもしれない


(これはまずいのではないか…?)
尋常じゃないほどの身体のかゆみと、焦燥感に気づく。

いや、とっくに気付いていた。
だけど時間が解決してくれるものだろうと ちゃんと向き合っていなかったのかもしれない。

かゆみが始まったのは何年前の事だろう?
少なくとも2年前には症状が出ていた。
もともとアトピーだったこともあり、再発したのだろうと思っていたけど
どうもそうではないみたい。

かゆみが出るのは決まって、イライラしているとき。
焦っているとき。
不安になっているとき。

そう、ネガティブシンキングの時だ。

手も 頭も めっちゃかゆくなる。
手なんかひどいときは,搔きむしっているせいで1日中ヒリヒリする。

そのせいで セラピストでありながら
手が体に直接触れるアロママッサージは1年以上メニューから外していた。
料理の時もゴム手袋をつけていないとダメ。洗い物なんて言語道断!
てな具合に、もろに生活に支障が出てしまっている。

もちろん、治すために何もしなかったわけではない。

皮膚科でステロイドを処方してもらったり
漢方を試したり
身体につけるものや食べるものをオーガニックに変えたり
ヘナやったり
素材にこだわったアロマを使ってみたり
沖縄の薬草で入浴したり
クレイでパックしてみたり
どれも数日~数カ月試してみたが 一向に改善しない。

というか、悪化しているくらいだ。

…ここでようやく気付いた。

きっと、『思考』がダメなんだと。



焦燥感・不安の感情

『生き急いでいる。』

常にそう感じる。

わたしの思考は、常に『やらなきゃいけない』で満ちている。

作業に早く取り掛かれるのも
行動力があるのも
よいことだと思っている。

おかげで信頼してもらえるし、
交流も増えたし。

しかしあることをきっかけに、
果たしてそれって良いことなのか?
と疑問を持つようになった。

それが9月に参加させていただいた、軽井沢でのロングトレイルだった。



自然の環境?デジタルデトックス?それとも…?

ロングトレイル。
ご縁のある方からお誘いいただき、フリースクールの中学生を対象とした 3泊4日の登山に参加させていただいたのだ。

主人に許可をもらい、最初は小2の娘も一緒に連れていく予定だったが 過酷なのでやめた方が良いとの意見でわたし単品で行くことになった。

過酷?
多少山登りの経験があるのでその言葉を軽視してしまったことに後悔した。

これがお前のやり方かーーー!!!!
by おかずクラブ ゆいp

思わず叫びそうになる。

え、待って。
わたしの知っている『登山』じゃない。

これはあれだ。
ジムにあるやつ。
クライミング?
たしかロッククライミングってやつだ。

…ってくらいの感覚。

(急斜面すぎて、手を使わないと登ることができなかった。)

そして靴擦れで足の爪が真っ青。
(当初マニキュアしてて気づかなかったけど、2週間後くらい明らかに爪の様子がおかしいことに気付く。確かに激痛だった…)

しかもキャンプも慣れていないので、夜寝れない。
そんな日を4日間。

これ書いてて自分でも思うよ。

『明らかにストレスやん』

でもね…



過酷なトレイル中、驚きの事態が発生!

ストレスだらけだと思った、この状態。

帰りの時に気づいた。

そういえば、どこもかゆくなってない。
ロングトレイル前は1日たりとも欠かなかったかゆみが、この4日間はまったくなかったのだ。

長野の大自然という環境が良かったのか。
いや、アウトドアは定期的にやっているがやはりかゆみが出るときはあった。

汗だくになるほど動いたのが良かったのか?
しかし仕事でもよく汗をかいていたので、そうではないみたい。

結局すぐには答えはわからなかった。

そして先日、あるきっかけで『瞑想をやろう!』という気が起こる。

これが大きなヒントとなった。



『自分をいたわる』ができていなかった

なにごとも、“我慢すること“は控えていた。

この頃人間関係は、自分の好きな人とだけ関わっていたし
やりたいことはなんでも挑戦していた。
身体が悲鳴を上げ始めていたので、仕事を手放した。

オーガニックを取り入れ
趣味のアートもほどよくやって
お酒も毎晩飲んで ストレス発散に努めていた。

でも瞑想をやっていて ふと『わたしは何がしたいの?』っていう問いと、
先日SNSで見かけた

『人のために●●をやりたいんです!っていうのは本心じゃない。本当はそんなきれいごとは思ってなくて、「目立ちたい」とか「金持ちになりたい」とか、自分の欲求がその中にある。でも、それでいいんだよ。』

みたいな書き込みがリンクしまして。
(内容あいまいで、ざっくりとしています)

あれ…わたしは何のために頑張っているんだ?

やることなすこと全部、
『やらなきゃいけない』
の思考になっていたことに気づく。

『やりたい!』
からの
『やらなきゃいけない…』

これは相当な誤変換である。

それがロングトレイルのときは、『やらなきゃいけない』がなかったのだ。

すでに組まれているプログラムだったし、
流れに身を任せられたのも
4日間家事しなくてよかったのも
夜自由になれたのも(キャンプなので寝るだけですが)
パソコンが使えなかったのも
『やらなきゃいけない』から解放されてたのだ。

自分のため、でいいじゃないか

わたしのやりたいことは、
ママとか
親子のための居場所つくりなんだ。

これはもう5・6年くらい言っている。

でもこれ、“人のため“だと
『やりたい』
じゃなくて
『やらなきゃいけない』
に変換されていたことに気づいた。

困っている人がいたら、助けてあげなきゃいけない。
正義感に駆られるような、そんなことをイメージするとわかりやすいかも。

そこSNSの書き込みと照らし合わせてみたんだ。
ここでの、自分のための欲求って何なのだろう?

それは私の場合だと、
必要とされたい。
感謝されたい。
一緒にいて心地よい仲間に囲まれていたい。
独りになりたくない。

あと、育児ノイローゼになっていた当時の自分を救ってあげたい。
とかね。

やることは『親子のための居場所つくり』だけど、
その中にある本心はまた別。

the 欲求。

willからhave  toになったら いけないんだ。

期待に応えなきゃいけない。
ママなんだから…
社会人なんだから…
●●なんだから…

窮屈で苦しかった考え方が、知らずに思考を支配していた。



ストレス発散とは


身体を動かしたり
趣味を作ったり
緑に癒されたりすることが推奨されているけど、

このかゆみの件で学んだことがある。

それは、『自分と向き合うこと』。

あれ!?
このテーマでイベント企画したりしてたんだけどな…

それはさておき…

自分と向き合う、とは
時々 無 になること。

本当は何がしたい?
わたしはどうしたい?
わたしの心は 本当はなんて言っている?

『やらなきゃ!』
なんてのは『本当にやりたいこと』とはピントがズレてしまっている。

その中の本心を知ること。
自分の中にある声をちゃんと聞くこと。

必要としている人がいるから、届けないといけない。
身体によいから、これを食べなくてはいけない。
子供のために、習い事をさせないといけない。
主婦だから節約しなくてはいけない。
…とかね。

それがいけないんじゃなくて、
ストレスをためない思考があるってこと。

ついでにわたしはnoteとかの締めくくりに『●●をしていきたい』と残しがちだが、これも『しなきゃいけない』の部類に入っているのだと思う。

気付いたから、やらなきゃいけない。
っていう感覚。

知らず知らずに自分を傷めつける思考、いっぱいしてたなあ。
なんて 今回の件で気付けた。

これからもいっぱい、いろんなことで葛藤していくと思う。

人間だもの。笑

さあ、かゆみと焦燥感に打ち勝つために
わたしは欲に忠実になるぞ!!




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