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「片付けられない」に潜むもの

小さい頃から

片付けが苦手だ。小学校では忘れ物大魔王だったし、中学校ではしょっちゅうロッカーが雪崩れていた。高校は机が汚い人ランキング2位で卒業したが、1位は机からカビの生えた雑巾が発見されて皆を震撼させたクラスメイトだった。
人生の心配事の8割はなくしものにまつわることで、「明日提出締め切りの税務署の書類が棚の書類の山から発見されますように」だとか、「「今度こそ絶対忘れずに返してね」と言われている友人からの借り物が家のどこかから(見当もつかない)発掘されますように」というような、片付けのできる人ならまず起こらないであろう事象に、毎度キリキリしている。
だいたい全ての行動が探し物から始まるので、取りかかるのも億劫で、先延ばしにした結果、期限ギリギリか間に合わないのがデフォルトだ。

それでも仕事だけは

新入社員時代は、書類の山からジェンガのように目的の書類を抜き出す技を編み出し、「片付けはできないけど全部把握してますから!」と、がさつだが仕事のできる若手女性路線をめざしてみたものの、仕事が増えるにつれ、ただの「仕事のできないやつ」に転落した。
これはまずいと現場勤務から本社勤務になったタイミングで毎朝晩決死の思いでデスクの整頓と向き合い、今思えばこの時代は本当に仕事がスムーズだった。
その後転職してベンチャー気質の会社に入ると、居心地の良いオフィスでデスクは次第に「巣」化していった。それでも最低ラインは死守していたつもりだが、フリーランスになって他の人と共有する作業が減るにつれ、私の仕事スペース(PC内含む)は混乱を極めていく。
プライベートはといえば、実家暮らしから新婚生活へ。スペースには恵まれていたので物は増える一方。祖父母の残してくれた家に引っ越したものの,
祖父母の遺品に母の遺品、数年後には父の遺品も加わって、一部屋は完全に開かずの間になった。

それでも自分一人なら

なんとかなっていた。しかし、年子三人を抱えると、完全につんだ。人生とは不思議なもので、私の身近にはいつも整理整頓が得意な人がいる。小中高時代の親友は、会えばまず「鞄を貸しなさい」といって中身を整頓してくれるような人だし、大学で出会った夫は物の住所を決めたら絶対に死守できる人だ。現在の生活も、夫が家族の共有スペースを血眼で整頓・清掃してくれるため成り立っている。しかし、無限に散らかす子供たちと、それをどう片付ければいいか皆目見当のつかない妻(「片付けなさい!」と言ってみるが、私自身それをどこへしまってほしいのかの答えを持っていないので、「とりあえずリビングの床のものを全部和室に入れなさい」というようなアバウトな指示になり、和室はカオスとなる。)に、夫の堪忍袋の緒もそろそろ限界だ。

片付けられるようになりたい

子どもたちには片付けで苦労してほしくないし、夫婦も仲良くありたい。でもどうしたら?
物を減らす?優先順位をつける?
そう思って洗面所をのぞく。
開けっぱなしの扉、出しっぱなしのブラシ。蓋の閉まっていないクリーム。まだ洗うには早いのでもう数回着ようかなと思っている服の層。
我ながらひどい。強盗が入った後のよう、とはよく言われるが、私の行動が全部わかる、というか、どれもちゃんと終わっていない。
方が、付いていないのだ。
「後で戻ってくるし」。「またすぐ使うし」。
片付ける、ということは、いったん終わらせる、方を付けるということなのか。
今日はここまでやりました、と報告できる状態。
ここから先はお願いします、と任せられる状態。
これで完成、万事落着!と胸を張れる状態。
レベルはいろいろあれど、片付けるって、小さな作業を、一つずつ終わらせていくことなのかもしれない。片付けよう、じゃなくて、終わらせよう。(なんだかちょっとネガティブだけど)この心持で、しばらく過ごしてみようと思う。というわけで、今日は書くのはここで終わり。

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