認められたい

情勢的に引きこもりを余儀なくされているせいで、しかも4連休もあるせいで、自分を見つめ直さざるを得ない。

「自分はこの先、何を楽しみにして生きていくのか」ということ。

仕事、は間違いなく大きい。起業してやろうという気があるわけではないけれど、人の役に立って認められたい、ついでにお金もいっぱい貰えたらなお良い、というのは間違いなくある。
社内の同期に負けたくもないし、早いこと一人前に仕事がしたい。先輩の確認をもらう段階は、ありがたいけど退屈だ。失敗しないんだもん。

ワークライフバランス、みたいなところもある。仕事はするけど、徹底的に追い求めるわけではない。趣味とか家族とか、他の部分で充実した人生を創っていく、という考え方はあると思う。
趣味を探す、というのは不思議な気がする。そういうもんじゃないだろ、自然と好きになってるもんだろ、と思う。本を読んだり散歩したりするのは、趣味と思ってしてるんじゃなくて好きだからしていること。まぁそれはいい。趣味みたいなものを見つけたければいろいろな経験をしないといけないだろうと思う。今はそれが難しい。

好きなことをして人の役に立ちつつお金をもらう、というのが「いい生き方」だとして、「好きなこと」がわかりやすく見つかるとも思わない。

自分の場合、誰かに認められたい、という願望が常にどこかにある。「認められる」ことが好きだ。
他人の期待に応えることが大事で、そうやって生きていた。多分これからもそうやって生きていく。期待に応えることは嫌ではないし、無理をしているわけでもない。
むしろ、この承認欲求がなかったら、一体何を生きがいにすればいいのか。人の評価を気にせずに生きられる人がいるとは、とても信じられない。

誰に認められたいのか、はわからない。世間に、か。
一番近いところだと家族、親に認めさせたい、というのはあるかもしれない。子供だと思ってただろうけど、俺はここまでできるんだぞ、みたいな。


いつか、大学の授業料とか自動車学校の費用とか引っ越しの費用等々、世話になった分ををまとめて札束にして返してやろうと思っている。100万は超えるかな。時間はかかるけど、絶対にやってやる。
小さい人間なのは百も承知だけど、それは大きなモチベーションとして心に秘めている。(秘めてはないか)

こんなことを降って湧いた4連休の中日、酒を飲みながら考えている。寂しいと笑うなかれ。
この記事に興味がある人がいるとは思えないし、バズる気配のある文章では到底ない。承認欲求を満たしたい人間としては間違った手段かもしれない。

いいじゃないか、書きたいことを書く。それがnoteだ。
読んでもらえたら僥倖。





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