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また結婚式にお呼ばれの話

タイトル通りです。約1年ぶり、2回目のお呼ばれ。

今回は中学校の同級生同士の結婚なので、どちらも存じ上げており、披露宴とか2次会も結構同窓会のニュアンスで気楽なもんでした。

新郎は野球部の仲間なのでご両親とも少年野球から面識あり、10年ぶりぐらいにお会いしたけど全然老け込んでおらず。
うちの親とは違うもんだなぁ、と思っていた。
が、よその親なんて考えてみればそういうもんかもしれない。
「老けましたねぇ!」って思ったことなかったわ。そもそも、定期的に見比べるものでもないし。

前回参列したときは新婦父の「男としての誇り」に感情移入して、親ってすごいなぁ、と感動していたわけだが
(その時の記事)

今回すごいなぁ、となっていたのは、新婦。

彼女もまた小中学校の同級生で、そのパワフルさは覚えていたつもりだったけど、パワーアップしてた。

そもそも、結婚式の日というのは、朝イチで式場行って、メイクだドレスアップだと時間をかけ、慣れない格好でずっと他人から見られている、非常にストレスフルな日だと想像する。(経験はない)

いくらハレの日、幸せ満開とはいえ、披露宴の後半ともなれば誰しも疲労の表情が出て当然じゃなかろうか。

ところがこの新婦、結婚式冒頭から披露宴、お色直し後の後半に至るまで一切疲れを見せず、笑顔を振りまき、参加者に声をかけるおもてなし。

さらには2次会の予約+集金、時間管理、3次会のカラオケまで自ら予約して先陣を切るタフネスぶり。

ここまでフル稼働だと、無理してないのか、新郎はそれに任せきりでいいのかという点が気にかかるが、まぁそこはご両人の裁量ということで。幸せならOKです。

「幸せは自分で掴むんだ!」という迫力があった。他人任せになんてしない、自分が主役だ!という熱さが伝わってきた。


話は飛ぶけれども、最近ハマっている言い回しに、「お前が始めた物語だろ!」というツッコミがある。
オフィスで使える便利フレーズなので多用していたら、『進撃の巨人』由来だった。知らずに乱用しててごめんなさい。

結婚式当日も、もっと言えば今の生活も、人生も、
つまりは自分が始めた物語だ。
生を受けたのは個人の意志ではないとしても、
今日まで物語として作ってきたのは自分自身で、これからも作っていくのは自分自身でしかありえない。

ならば、その物語を良いものにする、幸せにするのも自分自身の責任でしかない。
最大限に楽しみ、笑って過ごせるように、自分の力を目いっぱいに出し尽くす。

新郎新婦はぜったいにこんなややこしい事思ってないだろうけど、参列しながら、勝手にこんなことを考えておりました。

結婚式、何度参加しても(まだ経験2回だけど)素晴らしいですね。幸せをおすそ分けしてもらい、しかも人生に対する大いなる学びもある。

末永い幸せを祈りながら泥酔する夜、最高でした。

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