見出し画像

 少し前までは実家にいたのもあって、地元の友達とは頻繁に会っていた。高校、大学の友達とは年に数回会う程度である。

しかし、このご時世と金欠と元々誘われないのも相まって、ここ数ヶ月は友達と会うことはほとんどなかった。

まあ友達に会わずとも幸せに生きていたのだが、先日大学の友達と久しぶりにフットサルをすることになった。

朝から友達と車に乗り、フットサルで「きちぃ〜!」なんて言って汗を流し、終わってから酒を飲みつつホルモンを喰らい、カードゲームを嗜み、ダーツに興じた。(ソーシャルディスタンスを守りながら)




なんてことない友達との遊びだが、帰り際なぜかつい




「友達って最高やな」




とこぼしてしまった。




数秒間の沈黙。






全員が「ダサっ」「何こいつ」「やば」「さむっ」「キモすぎわろた」というニコ生のコメントみたいな目をした。あきらかに右から左にコメントが流れていった。



普通にイタい奴になってしまった。



だが、この発言に後悔はない。紛れもない真実であり、自分の身からでた率直な思いだからだ。



 僕みたいな人間は、幸せ感知センサーがオフィシャルでバグ起こしているので、お金や地位やステータスがなくても生きているだけで幸せに感じられる生き物である。木村RPGなんてものがあれば、初期設定段階でほぼほぼ全クリである。


そんな中「友達との遊興ダンジョン」なんてイベントが催されれば、嬉しさ爆発で1日足らずでダンジョンクリアガチャブン回し鬼課金である。


ちょっと前までは、そんな自分が恥ずかしくて、待ち合わせにもちょっと遅れて登場し、いかにも気合入ってないやつを装っていたが、今はそんな自分にも恥ずかしくなり、待ち合わせの10分前には馳せ参じ、全力で楽しんで周りの温度をこっち側に引き上げるようにしている。


誘いの Lineなんて来てしまったら、狂喜乱舞で嬉ション確定である。誘いでなくても普段から活気も色気もないLineのトーク履歴なので、他愛もないLineでも嬉しさのあまりスマホを窓から遠投してしまいそうになる。Lineに新着メール問い合わせ機能がなくてよかった。あったら夜な夜な問い合わせしている童貞中学生に逆戻りするところだった。




だがそうとも言っていられない年頃にも差し掛かってきた。



 もうすぐで25歳になるのだが、友達とこうやって思いっきり遊ぶこともどんどん少なくなっていくのかなと思うと、辛くて切なくて泣きたくて会いたくて震えて愛しさと切なさと心強さと部屋とYシャツと私で、どうしても「友達って最高だな」という思いを溢さざるを得なかった。


学生ノリから大人になっていく狭間で、いつしか残りひとつの餃子は奪い合わなくなったし、恋愛話も「好きな人おらんの?」から「いい人おらんの?」に変わった。


年を経るにつれ、周りの環境はどんどん変わり、自分だけが少年のまま取り残されていくような気がして堪らない。そんなことを思うと夜な夜な枕を濡らす日々である。



 考えるたびに、縁の深さに気付かされる。自分で選んだわけでもない土地で生まれ、その土地でたまたま同じタイミングで生を受けたもの同志が、たまたま同じ学校に通うようになり、たまたま影響を受けるものが重なり、たまたま意気投合する。別に他の場所でだってそんな奴はごまんと居るであろうが、その土地でたまたま出会ったことこそに縁の縁たる所以がある。

高校や大学なんて、生まれた場所が違えど、たまたま合格したところが同じで、たまたまクラスや学籍番号が近くて、たまたま同じ部活になる。いろんな環境や経路を辿って巡り会う。各々が感じてきたことや見てきたことを交換し合い、新たな価値観を形成する。合う人間も合わない人間もいるが、知らぬ間に擦り合わせて、コミュニティが形成される。

自分みたいな自ら率先して、新たなコミュニティを積極的に形成するような下手な真似はしない人間が、少ないといえど友達に恵まれたのは全く縁を信じざるを得ない。少ないといえど、価値観やフィーリングの合う人間がタイミングの妙で出会うなんてものすごい確率である。価値観やフィーリングが合っていても出会っていない人間なんてごまんといるのだから。(そんな出会っていない人達との輪を広げたくて人前に出ることを選んだのもあるが。)



あの日あの時あの場所で君に出会わなかったら僕らはいつまでも見知らぬ二人のままなのだ。


今揃っている条件が一つでも欠けると、出会っていないと思うと末恐ろしい。
コカレロがぶ飲みパリピ集団の一員だったかもしれないし、白装束の新興宗教の一員だったかもしれない。セルシオをシャコタンにして走り回っていたかもしれないし、全身にタトゥー入れて全銭湯出禁くらっていたかもしれない。おしゃれ覚えたての野球部みたいにアンダーアーマーをコーディネートに組み込んでいたかもしれない。


今いる友達との繋がりは大切にしたい。



各々のターニングポイントが重なり合い、巡り合う。



そこで出会った人達があって、今の自分が形成されている。様々な要因はあれど、良くも悪くも今の自分の形は友達の存在によって出来上がったもの他ならない。

そんなものを自ら切ってはいけない。




だからこれからはいつまでも友達と遊んでいられるような日々が続くことを願いながら、今を生きていきたいと思う。頻度は少なくなっても会ってくれる友達には感謝しかないし、一緒にいて楽しいと思える人たちと出会えた環境にも感謝していきたい。縁は大切にしておくべきだ。





寝る前に写真フォルダやLINEのアルバムを見返して、ほくそ笑みながら寝るの最高すね。


小田和正をBGMにして。












あなたがこのnoteを読んでくれたのもなんかの縁ですよね。だよね。いいねするよね。そりゃしちゃうよね。することにしようね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?