短編 二十五の行方

亮介は丁寧に髭を剃っていた。フリーターなので特に剃る必要はないのだが、いずれまた剃ることになるであろう髭を丁寧に剃っていた。

「余分なものはなるべく24に置いていこうぜ」という謎の宣言とともに、翌日迎える誕生日に備えて、髭を剃っていた。

誕生日はなんとも特別な日だ。自分が生まれた日であること、生んでくれた両親へ感謝する日であること以上に意味はない。別に歳を一つ重ねるだけで特にいつもと変わらない時を過ごすのだが、なにをしても許されるような気がするのだ。たとえバイトにて、レジを適当にこなしてお金の数が合わなくとも、腹が立つ客にカラーボールと肉まんをぶん投げても、万引き犯を見逃したとしても、店長に「今日実は誕生日でして...」と言えば、「今日誕生日かいな!おめでとう!誕生日じゃなかったら今日が君の命日になるところやったで!いやほんまにほんまに!」と、なんとか生きていけるだろう。


24の夜、何かに期待して布団に入った亮介は、25の最初の朝、何事もなく目が覚めた。

強いて言えば、夢で出てきたトリンドル玲奈のことが、24歳の時よりも少し好きになっていたぐらいである。寝ぼけ眼をこすり、トリンドル玲奈の画像を調べて、「お誕生日おめでとう亮介!!」なんて言われる妄想をしてはニヤニヤした。あれだけ重力の存在を否定していた寝癖が、徐々に重力に従っていくまでスマートフォンの画面を見続けていた。

「ラインッ!」

初めてのお祝いのラインは母親からだった。急な母親の登場に、なにかいけないことをしていたような気がした。

「亮介、お
 誕生日おめでとう。
 もう25歳なんやから30歳に向けて
 しっかりしな
 さい。
 彼女とはうまくやってるの?
 お米送っといたからね。
 また顔見せにきて
 ね。
 お父さんも心配してるから。」

祝ってくれているとは到底思えない説教めいたラインが送られ、また現実に引き戻された。もうトリンドルの下の名前は思い出せない。

とはいえ、周りは就職してもう3年目だというのに、未だにぷらぷらフリーターを続けて親に心配をかけていることに関してはさすがに申し訳ないと感じている。その場凌ぎと楽観視が特技の亮介もさすがに狼狽した。

「ありがとう。なんとかやってるよ。また帰るから。あと、一瞬縦読みでなんか書いてんのかなと思うから不自然に改行しまくんのやめてな。」

とだけ返信した。


「ラインッ!」


「りょーちゃん誕生日おめでとー!!0時ちょうどに送ろうとしてトレインスポッティング見て時間潰してたら寝落ちしてもた!!さいあくーっ!!ユアンマクレガーがお金持ち逃げするところまで覚えてんねんけどなぁ!!ラストは木更津キャッツアイのぶっさんみたいに死んじゃうの?」

付き合って1年半になる詩織からだった。小柄で天真爛漫なショートカットの女の子。10人中10人が元バレー部だと見破る。その内10人はリベロだと言い当てるだろう。そんな彼女のいかにもリベロっぽいところとか、なにもかもぎりぎりでうまくいかないところが好きだったりする。

「ありがとう。これでまた半年俺の方が歳上やなー!それ見逃したんエンドロールだけやから大丈夫やで。たしかに木更津で例えたけど」

「そうなんや!2また一緒に見よー!てか今日バイト19時までやんな!20時ぐらいに家行くから鍵開けて待っとけや」


「なんか取り立てる気?」


詩織が誕生日パーティーを催してくれるみたいなので、その日のバイトはいつになく楽に感じた。小銭を投げる客も、いつまでもレジ袋の有無を聞かれることを覚えない客も、支払い方法を伝えない客も、穏やかな表情で接客することができた。

バイト中、レジ横にある肉まん什器に目がいった。

「この什器は202○年交換予定」

いまから5年後。その頃には30か。

やばい。

急に不安になってきた。

5年後、自分はまだここにいて、この什器の交換現場に立ち会うのだろうか。いまから5年間この什器の世話をし続けるのだろうか。この什器の生き様を見届けるのだろうか。

やりたい仕事が見つからず、ちゃんと興味のある仕事を見つけようと、就職活動から逃げるようにフリーターになったのだが、今はただのらりくらりと現実から逃げている。


肉まんを最善の状態で蒸し続ける什器を羨ましく思った。

「お前はええな。やること見つけてて。考えることもないんやろな。ただお前はコンビニで肉まんを蒸し続ける機械に止まっててええんか?コンビニで冷凍肉まん蒸し続けるお前の人生ってなによ。お前もかつては老祥記とか一貫楼に憧れたやろ?551にはなりたくないっていつまでも尖ってたやろ?それでええんか?いや、お前はお前で現実と向き合ってんのか。色んなことに折り合いつけてんのか。いつまでもただ漠然と何者かになりたい俺って...」


「山川くんどうした?ぶつぶつ肉まん什器に説教垂れて。なんかクスリでもやってる?やってた場合のリアクションとる準備は出来てないんだけども」

「店長、今日実は僕誕生日なんですよ。だから早めに上がってもいいですか?」

「おおそれはおめでとう。おめでとうは山々なんだけどさ、誕生日ってそうなんでもお願いが叶うってもんじゃないよ?」

誕生日はなんでも許されるわけではないと知った亮介は、労働基準法ぎりぎりまでしっかり働かされて帰路についた。


バイトの忙しさでとりあえずは紛らわしたが、僕は焦っていた。永遠のように思えた20代も、もう後半に差し掛かってきている。


自分のこともそうだが、25歳になったことで詩織とのことも今までより考えるようになっていた。詩織との関係はとても良好だったのだが、その関係もこのままでいいのかという気持ちが、亮介の頭の片隅に佇んでいた。



20時を少し過ぎた頃、詩織が家にやってきた。


「りょーちゃんおつかれー&おめでとー!20時ちょうどに家がつがつ上がり込もうと思ったのにちょっと過ぎてもたごめん!」

詩織は右手に多くの食材が入ったレジ袋と、左手に大きな紙袋を持って現れた。詩織が小柄だったからか、荷物がとても大きく感じた。

「ありがとー。すごい荷物やなぁ!遅刻なんか気にしてないで!」

「なんかぁ、友達とさぁ、もしモロ師岡と最上もがが結婚したら師岡もがになるんかそれともモロもがになるんかなっていう議論しててさ」

「この世の誰も気にしてないで」

「それやったら今までの二人のシステムどないなんねんってなって、結局師岡モロになるってことで落ち着いたんやけど」

「モロ師岡やないか」

彼女の素っ頓狂な遅刻理由につい破顔した。さっきまで脳内を駆け巡っていた将来への不安も、輪郭がなくなり萎んでいくように感じた。


「さあキッチン捌いてくでー!ABCクッキングスタジオ2日でやめたけど捌いてくでー!」

高らかな宣言とともに、詩織は徐にキッチンに立ち、大家側が一品しか作るなといわんばかりのたったひとつだけのキッチンコンロで、唐揚げと蒸し鶏のサラダとよだれどりとシュクメルリという聞いたことのないジョージア料理の4品も作ってみせた。

「シュクメルリはジョージア料理で最近人気やねんって!やるやろ!」

そんなことより鶏肉が4品中4品を占めていることの方が気になった。

「頼みの綱のシュクメルリも鶏料理なんかい!」

「鶏好きやろ?あかんかったかなぁ...?」

時折見せる詩織の純粋な気遣いに、亮介は滅法弱かった。

「最高やんけ!鶏肉でこんな幅見せてくるとはなぁ!まじでありがとう!いただきます!」

「よかったぁ...!まあ色とりどりということで!鶏だけに!」

「うまいなぁ」

「座布団何枚?」

「料理がやで」


詩織とのなんてことないひとときが亮介の心を、体を解きほぐした。いまある幸せを育てていけるようにしたいと亮介は考えるようになっていた。


ただゆっくりしてはいけない。僕と詩織の時間は同じように刻んではいない。ぼんやりと考えていたことが、亮介の中で輪郭を形成していた。

いつか僕が決断をするとき、詩織はどう思うのかな。

詩織は何も言わないが、亮介が現実と向き合ったとき、詩織はなんと言うのだろう。

「ハッピバースデートゥーユー♪ハッピバースデートゥーユー♪ハッピバースデーディアりょーちゃーん!ハッピバースデートゥーユー♪」

詩織となら、ベタなバースデーケーキのくだりも新鮮に思えた。

詩織との楽しい時間で、彼女の底抜けな明るさと温かな優しさがぐさぐさと突き刺さる。もしも亮介が黒ひげなら危機一髪で飛んでいく寸前だ。

「詩織、ほんまありがとう。」

「なにりょーちゃん、泣いてんの?」


無邪気な詩織を見ていると、涙が溢れていた。


「そんな感動した?え?そんなに?ちょっと引くわ〜!!」

「引くとこちゃうねん」

「はははっ!」


彼女の気を遣わない気遣いが亮介を優しく包み、彼女の見返りを求めない無償の愛が、亮介を優しく苦しめた。


「あ、プレゼント!島根あたりのゆるキャラのクッション!」


「いや誕生日プレゼント貰うこと自体が嬉しいからって何渡しても喜ぶのか選手権やってる?」


詩織は、"ゆるキャラもこのご時世食えていけてないやろうから"という理由で島根あたりのゆるキャラと日記をプレゼントしてくれた。


詩織は自分のことよく分かってんなと思った。


この誕生日をきっかけに、亮介は理想と現実に折り合いをつけた。









あれから3年が経った今、亮介は文房具メーカーの営業として働いている。

就職活動は簡単にはいかなかったが、なんとか仕事に就くことができた。怒られることばかりで悩みは絶えないが、のらりくらりと生きていた頃よりずっと、生きることに懸命になった。


「ラインッ!」

「仕事おつかれ!それはさておきトリンドルの下の名前ってなんやっけ」


「トリンドル...なんやっけ」


「好きや言うてなかった?」


「テラハやってた頃ぐらいかなー」


「まあええわ!今日は晩御飯いる?今日は鶏あたり攻めよか思てんねんけど。」


「シュクメルリ食べたいな」



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