ミュージカル「ジーザスクライストスーパースター」より「彼らの心は天国に」
【はじめに】
ミュージカルの金字塔「ジーザスクライストスーパースター」
イギリスのミュージカル作家「ティム・ライス」と「アンドリュー・ロイド・ウェバー」が生み出したこの名作は、1971年にブロードウェイで初演されて以降、今日まで世界中で上演され続けています。
ジーザスクライストスーパースター(以下JCS)は、キリスト教の開祖「イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)」の最後の7日間を題材としたミュージカルです。
語りの台詞はなく音楽と歌曲のみで物語が進行するオペラ型式のロックミュージカルで「ロックオペラ」とも呼ばれています。
私はかつてこのミュージカルの中の1曲「Gethsemane(ゲッセマネ)」について語ってみました。
そこからかなり時間があいてしまいましたが、今日は第2弾として「Heaven on Their Minds(彼らの心は天国に)」について語ってみたいと思います。
私のキリスト教や英語の知識はあやふやですが、なるべく曲の雰囲気が伝わるように頑張ってみます。
気軽に見ていただけるとありがたいです。
【参考資料】
★Jesus Christ Superstar★ファンの日記(ストーリー)
【この曲の位置づけ】
「Heaven on Their Minds」はJCS最初のナンバーです。(序曲を除く)
この場面で登場するのは「イスカリオテのユダ」と「ジーザス・クライスト」そしてジーザスの弟子達を含む「民衆」ですね。
歌唱はユダのみですが、ジーザスの反応や民衆の熱狂との対比が大きなポイントになっています。
JCSのストーリーはイエス・キリストの「受難物語」をベースにしていますが、受難物語を知っている人を前提に書かれているので余計な説明が一切ありません。
その代りにこの曲が一種の状況説明の役割を果たしています。
ジーザス達の置かれた状況、ユダや民衆がジーザスをどのようにとらえているか、そしてユダが何を危惧しているのかが歌われています。
イエスの受難物語を知らない人が予備知識なしにJCSを見るとたいてい「ポカン」としてしまうそうですが、この曲の内容を知っておくと以降のストーリーを追うのが楽になると思います。
【歌詞と和訳】
「Heaven on Their Minds」の英語の歌詞と、直訳に近い和訳を紹介します。
状況説明を兼ねているので、けっこう歌詞が多いですね。
直訳でもなんとなく意味は伝わるのですが、やっぱり解説が欲しいですね。
JCSは日本でも「劇団四季」創設者である浅利慶太さんオリジナル演出で1973年から劇場公演しています。
この作品が後の「レミゼラブル」や「ライオンキング」など劇団四季「ブロードウェイ直輸入ミュージカル」の嚆矢となりました。
「Heaven on Their Minds」の劇団四季版「彼らの心は天国に」の歌詞を紹介します。
実際に曲にのせて歌う必要があるため、英語の歌詞と比べるとかなりコンパクトに圧縮されていることがわかります。
日本語の歌は「一音節で一文字」しか乗らないため、どうしても英語の歌詞から情報量が減ってしまうのです。
この歌詞ではユダの心情にフォーカスしているため、状況説明がほとんどカットされています。
劇団四季版の訳詞は昭和の大作詞家「岩屋時子」さんですが、かなり苦労されたことと思われます。
そこで、私なりの訳詞に挑戦したいと思います。
直訳をベースに、なるべくストーリー性を持たせてみました。
ツッコミ所だらけですが、雰囲気で見ていただけると嬉しいです。
注)この訳では以下のように言葉を統一しています
「オレ」 ⇒ユダ
「お前」 ⇒ジーザス
「オレ達」⇒ジーザスと弟子たち
「ヤツら」⇒民衆
「上」 ⇒ローマ帝国とユダヤ教司祭たち
【少し解説】
当時の状況について、もう少し補足説明したいと思います。
ジーザスの布教活動(イエスの公生涯)は3年間だったと言われています。
当時(西暦30年頃)のユダヤの民衆は「ローマ帝国」「ユダヤ教」「ヘロデ王」の3重の支配を受けていました。
「ローマ帝国」は言わずと知れた当時の世界帝国ですね。
この頃は2代皇帝ティベリウスの治世で、地中海沿岸の全域を支配下に置いていました。
ローマは被征服者には比較的寛容でしたが、ローマの宗教とは違う「一神教」のユダヤ教を理解するつもりはありませんでした。
「ユダヤ教」は主に「サドカイ派」と言われた司祭たちですね。
特に大祭司「カヤパ」は、政教一致の宗教国家であるユダヤでは実質的な「元首」でした。
司祭たちは民衆からは重税を取り立てる一方、ローマには何も言えず自己保身に走る存在でした。
また「ファリサイ派」と言われる律法学者たちは「形式主義」に陥り、外面ばかり気にして民衆の救済には関心がありませんでした。
この頃にはユダヤの民衆を救うはずのユダヤ教自身が巨大な「抑圧装置」になって民衆にのしかかっていました。
「ヘロデ王」はジーザスが主に活動した「ガリラヤ地方」の王です。
しかし実際の統治はローマに任せっぱなしで、自分の欲望を満たすことしか考えていない「俗物」でした。
3重の支配に押しつぶされていたユダヤの民衆は、この状況から救ってくれる「救世主」を心から待ち望んでいました。
ユダヤ教の救世主(メシア)とは、強力な宗教的、政治的、軍事的指導者で、実際に抑圧者を打ち倒して民衆に平和をもたらす者でした。
そんな中「神の啓示」を受けて活動を始めたジーザスは、様々な「奇跡」を起こし苦しむ民衆を救ってきました。
また形式主義に陥ったユダヤ教を厳しく批判し、民衆には『悔い改めて福音を信じなさい』と語りかけます。
ジーザスの目的は「個人の救済」であり、本来の「神の教え」に立ち返ることだったと思われます。
自らが国家の指導者になるつもりはなかったのでしょう。
しかし民衆が望んでいたのは強力な国家の指導者でした。
特にローマからの独立を目指す「熱心党」と言われるグループは、民衆を熱狂させローマに立ち向かわせる強力な指導者を必要としていました。
ジーザスはどうも熱心党に利用されていた節があります。
そしてユダには、ジーザスが熱心党に利用されているのを分かっていながら放置しているように見えたのかもしれません。
『お前の語る「神の言葉」は 変なふうにねじ曲がって受け取られている』『お前はオレ達が「ユダヤ人」だって分かってるのか?』
『オレ達は大人しくしないといけないって分からないのか?』
などのユダの忠告は、その思いから発しているのだと思います。
ユダの「焦燥感」は当時の状況を冷静に見られる人なら、大抵の人が感じられるものでしょう。
その焦燥感に突き動かされているユダの思いを歌った曲が「Heaven on Their Minds」だと思います。
【実際に聴いて見よう】
JCSは世界中で長期間にわたって上演されてきたため、様々なバージョンの曲が存在します。
今日は4つのバージョンを紹介してみます。
まずは、日本語で歌う「劇団四季」バージョンです。
歌唱は、かつて劇団四季に所属していた「瀧澤行則」さんです。
ピアノ伴奏だけのシンプルなバージョンですね。
ユダの心情がよく表現されていると思いますが、やはり予備知識がないと『いきなりなんでこんなに焦ってるの?』って感じるかもしれません。
次に1973年の映画版です。
歌唱はユダ役の「カール・アンダーソン」さん、ジーザス役は「テッド・ニーリー」さんですね。
ユダの焦燥感が凄まじい迫力で伝わってきます
物理的にユダとジーザスの間に距離があるところが、いっそう焦燥感をかき立てる演出になっています。
この映画は実際にイスラエルでロケされたそうで、厳しい荒野の風景が効果的な演出に使われています。
次は2000年の映画版です。
歌唱はユダ役の「ジェローム・プラドン」さん、ジーザス役は「グレン・カーター」さんですね。
このバージョンはユダとジーザスの距離が近いのが特徴ですね。
ユダがジーザスの肩に手を置くシーンなんかは「ドキッ(//∇//)」としてしまいます。
近くにいるのに思いが伝わらない「もどかしさ」を感じられます。
因みに私の訳詞はこのバージョンのユダをイメージしました。
最後は2012年のアリーナツアー版です。
歌唱はユダ役の「ティム・ミンチン」さん、ジーザス役は「ベン・フォースター」さんですね。
このバージョンは実際の舞台での上演を撮影した映画で、伴奏はバンドの生演奏です。
生演奏が独特の緊張感を生み出していますね、ティム・ミンチンさんの「悪そうなユダ」も良い感じです。
【悲劇のはじまり】
JCSは「キリストの磔刑(たっけい)」という悲劇で幕を閉じます。
そしてジーザスが利用されることを危惧していたユダ自身が、いろいろなものに利用されたあげく自ら命を絶ってしまいます。
この悲劇の原因はなんだったのか?
私には「天国」のとらえ方がジーザスとその他の人とで大きく違っていたことが原因と思えます。
ジーザスにとって「天国」とはこの世のものではありませんでした。
実際そのように語っています。
『わたしの国はこの世のものではない』 ヨハネによる福音書18章36節
しかしジーザスに付き従った弟子や民衆が期待した「天国」は明らかにこの世のものでした。
JCSのナンバーでも「狂信者シモン」や「最後の晩餐」でその様子が歌われています。
熱心党を含む民衆が期待したのは、「3重の支配」を打ち破り自分たちを解放してくれること。
弟子たちが期待したのは、ジーザスが「国家の指導者」になり側近である自分たちが「大臣」になること。
ローマ帝国の総督やユダヤ教指導者たちが恐れたのは、ジーザスに扇動された民衆が暴動を起こし、自分たちがその不手際を責められること。
そしてユダが恐れたのは、暴動が鎮圧されジーザスや自分を含む弟子たちが罪人として処刑されることでした。
ユダがジーザスを裏切ったのも、「実際に暴動を起こす前に逮捕させた方が生き残れる可能性が高い」と計算してのことだったと思います。
見事にそれぞれの思惑がバラバラで、ジーザスの語る「神の言葉」があまり伝わっていなかったことがうかがえます。
ジーザスの考える「天国」はそれほど当時の常識から外れたものでした。
ジーザスにもその辺の自覚があったのかもしれません。
ジーザスは「Gethsemane」で神に問いかけます。
『なんでオレが十字架にかけられて死ななきゃならないの?』
『もっと目立つため?オレの言動をもっと大問題にするため?』
ジーザスは以下のように言いたかったのかもしれませんね。
『オレだって一生懸命頑張ってきたんだ、それはアンタが一番知ってるだろう?』
『現時点でアンタの言葉はあんまり浸透してないかもしれないけど、地道にやってりゃその内浸透するって』
『だからオレが十字架にかからなくてもいいじゃん』
しかし、神の答えは「沈黙」でした。
こうしてJCSの物語は「悲劇」へと収斂していきます。
そのはじまりとなるナンバーとして「Heaven on Their Minds」はふさわしいと感じます。
【終わりに】
JCSのナンバーでは、印象的なフレーズや歌詞が曲を横断して何度も使われています。
ミュージカルでこのような手法を最初に用いたのがJCSだと言われています。
また全体を通して聴くと、「Heaven on Their Minds」と「Gethsemane」と最終盤のナンバー「Superstar(スーパースター)」は同じような構造をしていることがわかります。
どれも「相手に問いかけるけど答えてもらえない」という曲ですね。
特に「Superstar」は「Heaven on Their Minds」の続きのような歌詞で、一言でいえばユダがジーザスに『だから言ったじゃないか!お前いったい何がしたかったんだ?』と問いかける曲です。
次回は「Superstar」を解説できたら嬉しいですね。