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自分らしさってなんだ?

ちょっと前に僕の勤めている会社の社長が変わったので、互いの自己紹介的に社長との顔合わせの機会があった。

無名の三流中小企業なので、簡単に社長と会うことができるのだが、
だとしてもそこは社長。少々緊張するし、自分を全開にすることはできないし、
というかはなからする気ではなかった。
サラリーマンなので当然かもだが、終始気を遣い、本当の自分は語れずじまいだったなぁ、
終盤そんなことを思っていたそのとき、

「いや~、ほんとは美味しいものでも食べに行って話したいんだけどね~、
このご時世だからね~」と社長がポツリ。

僕にもっと気楽に話してもらいたいし、美味しいものをご馳走させてあげたいという気持ちはとてもありがたい。でもぼくはそれを聞いたときカウンターを返すように、

「この人に不味い飯を腹一杯食べさせてあげたい」

と思った。この人の目の前には、いつ何時も美味しい言葉と美味しいご飯が差し出されるのだろう。
社長が悪いわけでは全くない。この人を虚世界から現実に一瞬でも引っ張ってあげたい。
不味い言葉が言えなかったので、せめて不味いご飯だけでも。献立はこうだ。

・十分に下処理されていないレバー、ギトギトの野菜なのになぜか味がしないレバニラ炒め。
・出汁を知らない外国人がつくったかのような、味噌だけの味噌汁。
・一口分とろうとすると全部引っ付いてきちゃうカピカピの白米。
・もちろん牛乳で。

泣きながら喰らい、お皿もペロペロすることだろう。

自分と自分らしさ

社長との面会では素の自分は出せなかった。おそらく逆も然りで少なからず社長もそうだったろう。
では、この面会は意味がないのか?
もちろんそんなことはなく、自分が出せなくても、僕の身体あって言葉を発している以上、自分「らしさ」は出ている。僕も社長の「らしさ」を感じとれた。

よく「リアル」と「リアリズム」は違うというが、同じことが自分と自分らしさに当てはまる。
映画やドラマでも、とことんリアルを追求したセットよりも、リアリズムを追求したセットや演技のほうがストーリーや空気感を把握しやすい。
複雑で外からは見にくすぎる「自分」よりも「らしさ」のほうがわかりやすい。

仕事上なんかは特にそう。コミュ力がもてはやされるのであれば、
らしさで互いに接した方がコミュニケーションコストが低く済む。

自分らしさってなんだ?

では、自分らしさとは何か。安易に言い換えると、独自性とかオリジナリティかと。
では、オリジナリティとは何か?
小説家の村上春樹さんは「職業としての小説家」という本でオリジナリティの条件についてこんな風に言っていました。

・見たり聴いたりした瞬間、その人だ、その人の表現だ、と瞬時にわかるもの。
・時間の経過とともにスタンダード化し、価値判断の基準となるもの。

ビートルズを例にあげており、当時はじめて聴いた瞬間「なんだこれは、他と明らかに違う!」
と思ったそうです。ただ、村上春樹さんほどの文豪でも、何が違うかと聞かれてもうまく言葉にできないそうです。

また、村上さんは肯定派ですが、ビートルズほどの衝撃だと受け入れられず、否定的に捉える人もたくさんいたでしょう。

それでも今となってはビートルズはロックのスタンダードとなって、ビートルズを基準に
他のロックバンド、あるいは他のジャンルについてあれこれ語れていますよね。

はっきり言葉にできないけど明らかに他と違う、声だったり目だったり、受け入れがたい価値観だったり、それをひっくるめて「らしさ」であって、
長年一緒にいたりするとそれが当たり前すぎて、特別何も思わなくなる。

タイトルにした「自分らしさってなんだ?」から歌い始める
SUPER BEAVERの「らしさ」という曲のサビは
僕の僕らしさ、君の君らしさはあえて探すようなものではない、
僕と君は違うから、手を繋ぐし、そこには愛がうまれるかも、なーんてね。
といったもの。

スタンダード化した、その人の空気のような背景が
らしさであって、そこに愛がうまれる。
メロディーもギターフレーズも最高、聴くたびにビートルズのような感覚がある大好きな曲。

味わおう らしさと不味い飯を

SUPER BEAVERのらしさでは、外から見えにくい、
他人に理解されない自分を「宝物」と表現している。

そんな宝物は自分の中にしまっておいて、大切な人にはチラ見させ、
普段は自分らしさを目一杯表現したらいいと思う。

言葉にできないらしさは、完全に「理解」することができないから、
「味わおう」
その人らしさと、まずい飯を。

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