自分の幸せを見つけたい⑤

前回からの続きです。

大学に合格し、残りの高校生活は、車の免許をとりに行ったり、
アルバイトを始めたり。

全く新しい世界が始まった。

卒業すると、春休みの間に、健康診断や、説明かい、サークルの見学会などのイベントが一気に始まった。

ここから一気に私の辞書にはなかった、他にも持ち合わせのなかった

”自分を肯定してあげることができる人生”の幕開けです。

すごいスピードで彼氏ができました。
人生初めての両思い。
人生初めての彼氏。

頑張って勉強してよかった〜!
これに尽きます。

この、”初めての彼氏”が私の人生のターニングポイントです。
私の人生に、親、親戚、近所のおばちゃん意外で、私のことを”可愛い” 
”好きだ” などと言ってくれる人が現れたわけです。
他人という他の人類に私が存在をすることを認めてもらったような気分でした。決して全くモテなかった人生ではなかったのですが、それだけ誰かに存在を見ともてもらうということに飢えていたということでしょう。これは、私の人生の中で、大きな出来事となり、自信がつくと言えるほどではなかったのですが、大学デビューのような感じでした。
入学式2週間前に出会い、入学式から付き合いだし、長くは続かなかったものの、他人に存在が認めてもらえたというのは大きなきっかけとなりました。


学業、アルバイト、サークル、私の毎日はガラリと変わり、
灰色に少しずつ色がつくように、彩度を少しずつ取り戻していくような義務教育の期間から、一気に色を取り戻したような毎日が始まりました。

好きな人ができたり、彼氏ができたり、友達が増えたり、人との普通の関わりを知りました。周りにどう思われるかビクビクする毎日から、少しずつ自分らしくってなんだろう?

様々な洋服にチャレンジしてみたり、メイクを勉強してみたり。私にとって一番気持ち的にも解放された時期でした。

入学して新しい生活に慣れ、そんなある年の元旦、父が他界しました。

後を追うように、春には祖母が他界しました。一部の何かの感情を失った私ではありますが、日常を着実に過ごすことがその時の私にできることでした。父は、とても過保護に束縛をし、大学一年生の時の門限は、六時。
家から大学までは、自転車で三分。最後の事業が終わって普通に帰れば間に合いますが、サークル活動をしたり、友達と遊びたい私にはすごく苦しい日々でした。

正直に言うと、父が亡くなって、ほんの少し時間が経った時、ついに私の本当の自由が始まるとほっとしました。私の中で、父は確かに大きな存在で、私は父親っ子だったため、辛い時は父の膝の上に乗って相談をしたり、夜遅くまでお母さんの惚気を聞いたり、すごく親子関係は良好でした。しかし、その反面、私の中で縛られることはすごく負担になっていました。

父が他界してからは、初めての母との二人暮らしで泣くほど喧嘩をしました。本当に母とは性格が違いすぎてどうしたらいいのかわからず、母から逃げるように学校で過ごす時間も増えました。親から離れて楽しいことのそばにいたい。そう言う思いで、いっぱいでした。

でも、父との約束である”お母さんを守ってね”と言う言葉を守り、できるだけきちんと母が安心するようにすこごしていました。それでも、やっぱりこじきは、友達の家に夜遅くまでいたり、そんなことの方が遥かに楽しくて、すごく窮屈でした。

全てが新しく色鮮やかで刺激的な毎日を過ごし、私の心にこびりついた錆は少しずつ削られていきました。でも消えることはない。だけど、少しずつ。

そんな楽しい毎日と、家に帰ればお母さんとの戦いの日々を過ごし、就活の時期に差し掛かり、私は、親の言いつけを守って、会社員として安定して働ける職、さらに、家から通える場所に就職しました。

この大学の4年間は、遅れを取っていた私の青春を取り戻すかのようにがむしゃらに毎日を過ごした期間でした。


続く