怖い話の話
怖い話が大好きだ。
映画や小説はもちろん、ネットで話題になった怪談なども大抵は読み漁ってきた。当然ながら怪談には類型化されたパターンがあって、ある程度そういうものに触れ続けていると、「あっ、これはあのタイプだな」と分かるようになる。それはそれで面白いものだし、設定は月並みだけど展開にちょっと意外性があるとか、よくある話だけど抜群に怖いとか、そういう話に出会えた時の楽しさもある。
激辛料理を好むマニアと同じで、怪談好きも「もっと怖いものを!」「もっと身の毛もよだつものを!」と、どんどんエスカレートしていく。麻薬みたいなものだ。
しかし、映画にせよ小説にせよ、あるいはネットロアの類にせよ、本当に秀逸なものは数が限られている。どこかで頭打ちする。そうなると、あとは誰かから直接、実体験としての怪談を聞かせてもらうしかない。
ぼく自身、定期的にそういうモードになって、会う人会う人に「何か、怖い話とか、不思議な経験とか、そういうのない?」と身悶えしながら怪談を求め彷徨うゾンビのような状態に陥る。
今から10年ほど前のことだと思う。
その頃、ちょうどそういった怪談に飢えたゾンビ状態になっていたぼくは、Twitterでぽつりとつぶやいてみた。
「聞いてしまったことを後悔するぐらい怖い話が聞きたい」
するとしばらくしてリプライがついた。
「そういう話、あるよ」
そのリプライを付けたのは、直接会ったことはないものの、かれこれ10年以上ネット上ではつながりのあったYさんという女性だった。
Yさんが言うには、それは自分の実家というか血縁にまつわる話なので、Twitter上には書き込みたくないし、かなり長い話になるので、いつか会う機会があれば聞かせてあげる、とのことだった。
「でもきっと本当に、聞かなきゃよかった、って後悔すると思うよ」
そんなことを言われたら、怪談好きとしてはなおさらテンションが上がるというものだ。そのうち絶対に会って聞かせてほしいという約束をして、その時は話はそこで終わった。
それから数年が経った。
またしても定期的に訪れる、怪談に飢えたゾンビ状態に陥ったぼくは、ふとYさんの話を思い出し、彼女にTwitterでDMを送った。
私「前にさ、すごく怖い話が
あるって言ってたよね」
Y「え? 何それ?」
私「ずいぶん前にぼくがTwitterで、
聞いちゃったことを後悔するぐらい
怖い話が聞きたい、
って書いたら、Yさんが『あるよ』って」
Y「えー、知らないよそんなの。
私じゃないって、それ」
私「いや、Yさんの血縁に関係する話、
とかそんなことを言ってた」
Y「そんな話、ウチの家にないよ。
誰か違う人と勘違いしてるんだって」
こんな調子でまったく話がかみ合わない。
何か事情があって話したくないのか、あるいは気が変わったのかと思い、しつこく問い続けていると、しまいにはYさんを半ば怒らせてしまった。
ぼくの記憶違いかもしれない…でもそんなはずは…と、過去のツイートを延々遡ってみた。
すると、確かにYさんとぼくのそのやりとりはあった。やはり、相手はYさんだったのだ。
スクリーンショットを撮ってYさんに送りつけようかとも考えたが、さすがにそこまでやるのは当て付けがましく思ったのでやめた。
結局、その話はそれきりで、『聞いてしまったことを後悔するくらい怖い話』は聞けずじまいのままで今に至る。
その話を他人に聞かせられないようなことが、Yさんの身の上に起きたのか。それとも、数年前にぼくがやりとりしたYさんと、今のYさんは別の誰かなのか。
まるであの有名な『牛の首』にも似た、不穏な後味の悪さだけが、今もぼくの中に残っている。
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