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哲学をウォークする


 つい先日(とは言っても、もうひと月以上前のこと)、以前イベントで知り合った方から、招待して?声をかけて?いただき、哲学ウォークとやらに参加した。

 哲学ウォークとは、オランダの哲学者、ピーター・ハーテローとやらが考案したアクティビティらしい。

  1. 哲学者の言葉をもって、街に出る。

  2. 街の中を探索し、その哲学者の言葉に合う場所を自分なりに見つける。

  3. 他の参加者を呼び、なぜ自分がその場所を選んだのか語る。

  4. 他の参加者から一方的に質問される。

  5. 街から戻り、他の参加者からの質問の中から、1つだけ応答したいものを選択し、考えを述べる。

  6. 他の参加者と共に、その考えを深めていく。

という、順序で哲学してみた。

 私が引いた言葉は、

運命とは自ら選び創り出すものだ。

ルキウス・アンナエウス・セネカ(B.C1-65)

というもの。

 繰り出した町は、古町5番町。かつて、新潟の中心地として発展し、現在はアーケード通りとなっている。

ちなみに、当日は全然雨

 カフェや専門学校、衣類品のブランドから無人餃子屋さん、劇団?まで多くのプラントが並ぶこの道。

 はてさて、困った。
「運命とは自ら選び創り出すだ」、なんて割と月並みな表現。小学生に言ったって、当たり前じゃんって言いかねない。どんなシーンを切り取っても、なんとでもこじつけることはできそう。

 細道の落書き。

なんで落書きする人ってこんな上手いのかね。

 なんかいい感じ。No Control。まさに、様々なしがらみから抜けて、自由に人生を生きる感じ。
でも、なんか違うような、、、。うーん、難しい。

 悩んだ挙句、選んだのはこの場所。ハンコ屋さんの看板。

本間さんって読むらしいけど、読めなくね?

 なんでこの場所なのか。それは、名前こそが運命を体現しうるものだと感じたから。

 実際名前、特に苗字は自分では選べない。親からもらう最初のプレゼントで、基本的には死ぬまで手放せない烙印。

 運命とは生まれながらに決まっているという前提に基づく考え方に立つと、名前と運命は、共に生まれた時から勝手に決められ、死ぬまで抗うことができないという点において親和性が高い。

 しかし人間とは数奇なもので、運命に抗おうとするし、運命を自ら切り拓こうとする。

 名前で考えるとどうなるか。名前は基本的には変わらないが、その中でなりたいように活動名を使ってみたり、二つ名を作ってみたり、肩書きを持ってみたり。そんでもって、ハンコはちょっと読みづらい書体にしてみたり。

 与えられたものの中で、必死にもがき、自分にしかできないもの、自分にしかつくれないもの、自分だけの価値を創造する。運命と名前って似てる。

 と、選んで紹介してみた。他の参加者の方たちはどう思ったんだろう。それぞれの言葉と場所を回りながら、独特な視点、人生観が反映されている。めっちゃおもろい。

 違う人同士だから当たり前だけど、対話を通して、その人のことを知り、もっと知りたくなるし、魅力を感じる。対話ってすごい。

 今回は参加者として、哲学ウォークに参加してみたけど、自分もいつか哲学ウォークみたいな対話のイベントを開催してみたいな。と思ってみたり。

書き始めから仕上げまでに、すごい時間を空けていて、最後は支離滅裂になった気がする。

だが、それでいい。って誰かの言葉があったからいいのか。

そんでもって、哲学ウォークはここからスタートしていく。今回の機会を経て、もらえた哲学と共に歩く。

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