筒井史緒

宗教学者・博士、アーティスト。 幸せに本質を生きる人をつくり、優しい世界をつくりたい。…

筒井史緒

宗教学者・博士、アーティスト。 幸せに本質を生きる人をつくり、優しい世界をつくりたい。 目に見えず、触ることもできず、証明もできないけれど、人間のこころとからだを養うものを、アートや直観を通じて取り戻す活動をしています。 「水曜どうでしょう」の宗教学的研究も行っています。

最近の記事

【幸福知のためのワークショップ・シリーズ standART beyond】②タイトルに込めたもの

人間は、自然の、生命の、一部だ。 だから、 「じぶん」という意識の届かないところで、 人は、生命全体と知らぬ間に いつも会話している。 知らぬ間に信号を受けとり、 知らぬ間に信号を放つ。 人間の頭は、それを忘れてしまう。 自然や宇宙や生命から、 独立して機能しようとする。 独立して機能できると思いこむ。 でも、事実、 人間は生命から生まれて、 生命へと還る、 ひとときの、 かたちなき、うたかたのかたちだ。 人がけして、 その全貌も原動力も 知りえることのない、 「生

    • 【幸福知のためのワークショップ・シリーズ standART beyond】①「幸福知」とは何か~東京大学にてアート・ワークショップ・シリーズがスタートします

      東京大学UTCPにて、アート・ワークショップの新シリーズを担当させていただくことになりました。 【standART beyond】という名前のシリーズで、どなたでもご参加いただけます。 「知に生命を取り戻す」というテーマで、論理や言語や証明にかたよりがちな知の範囲を、「アート」をてがかりに、直観知までも含む、ホリスティックで有機的なものへと拡張することにより、真のウェルビーイングを実現してゆこう、という試みです。 第一回イベント情報(2024年5月11日開催) stand

      • 【エンパワメントとしての授業①光の雫を手渡す】

        わたしは今、とても幸せだ。 昔からわたしは、 ものすごく繊細で、 傷つきやすくて、 不安がいっぱいで、 自己肯定感が低かった。 親との関係も問題だらけだったし、 生きるのはいつも、苦しいことだった。 それでも、それを 「生きてるってそういうもんだ」と 信じたことはなかった。 生きてるってこんなもんでしょ、 と思ったことはない。 「生きてるって、  こんなはずじゃないはずよね?」 「生きてるって、  もっと幸せなはずだよね?」 という疑問が、 ずうっとわたしを突き動

        • 【野性とか、生き物として生きるとか】

          野性のままに生きることを、 ずっと忘れない。 忘れそうになったら、 身体が心といっしょに乾いて、 木や水や風や、 しんけんな魂たちに会いにゆく。 野性の自分。 生き物としての自分。 人間サイズの自分じゃなくて、 おおきなうちゅうに生かされている、 部品としての自分。 おおきなうちゅうのこえを、 おなかの底の、存在の耳で聴いて、 信号をうけとって、 全身と全霊で表す。 ただそうやって生きる。 動物の本能みたいに、 したいようにすることが、 うちゅうの意志の表現に

        【幸福知のためのワークショップ・シリーズ standART beyond】②タイトルに込めたもの

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        • 【エンパワメントとしての授業①光の雫を手渡す】

        • 【野性とか、生き物として生きるとか】

          「学者」だからこそ、「魂」を語らなくてはならないと思う

          白状すると、「魂」という言葉を使うのが、ずっと怖かった、宗教学者のわたし。 (需要のある告白かは分かりませんが、笑) 「魂」という言葉、 個人的にはなんの抵抗もなくすんなり使いまくれるのですが、 「学者として」、証明されていない概念をうかうか使うことが、ずっと、すごく怖かったのです。 でも、何十年もかけて 「人がどうしたら本質を生きられるか」 を研究してきて思うのは、 魂について、 そして証明のされていない「生命」という無制約的な源について、 語らずにすませること

          「学者」だからこそ、「魂」を語らなくてはならないと思う

          「宗教」とは何か。超能力のはなしその①

          わたしの肩書のひとつに、「宗教学者」とか「宗教哲学者」というのがある。いちおう、というのもなんだが、博士号ももっているし、大学で先生もしている。 初めて会った人に「宗教学やってるんです」というと、たいてい 「なんの宗教の研究ですか」 と聞かれる。そりゃそうだよな…と思うが、宗教学という学問は、特定の宗教を扱うこともあれば、そうでないこともある。 わたしの場合は、「そうでないパターン」だ。研究しているのは「宗教」ではない。いまのところ、「水曜どうでしょう」をテキストに講

          「宗教」とは何か。超能力のはなしその①

          「仕事」とは、この世に何を残すか。魂についてと、エンデと福岡伸一への共鳴

          その人の魂が、一番震える場所に連れて行きたい。 人が、いのちの水を汲み上げるその源泉、 心の奥、魂の最もやわらかな部分にある、 神聖であたたかな「望みの泉」に。 それが、わたしの望みだ。 プライベートな望みというよりも、この世界という場所で、他者とともに生きる共同的存在としての、「仕事」としての望み。 仕事とは「この世に何を残してゆくか」ということだ、とも言える。 わたしは、宗教学者として、そして表現者として生きてきた。 本質を捉え、最も深く鮮烈に生を営むための、そし

          「仕事」とは、この世に何を残すか。魂についてと、エンデと福岡伸一への共鳴

          【読書コラム】エンデ『はてしない物語』考察~大人のための「魂の再生の物語」

          ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』… 何十年ぶりに手に取っただろう。小学生の頃の宝物のひとつだった。 あの頃わたしは、日に2、3冊は読まずにいられない活字中毒少女で、あまり本ばかり読みすぎていたせいで、友達に「本」と呼ばれたこともある。 わりとぼうっとしたところがあったので、上履きのまま下校してきたり、ランドセルを学校に忘れて帰ってきたりは、もうしょっちゅうだった。 それでいて、本を読みながら歩いていても(歩いているときもずっと本を読んでいた)、階段も平気だったし、電柱に

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          junaida展 夢が帰る場所

          今日は、立川で開催されているjunaida展へ。 ずっと行きたくて行きたくて、なかなかタイミングが合わなかったのですが、やっと行けました。 junaidaさんを知ったきっかけは、大好きな北杜のヴィーガンレストラン、キッチンオハナさんに置いてあった、幾冊かの絵本。 見た瞬間に、わあ、何ですかこれ?と声に出してしまったほど、ひとめで心惹かれてしまった、美しい世界。 junaidaというお名前も、なんて魔法の呪文みたいな不思議なお名前なの… 何人なのかしら… と思っていたら、な

          junaida展 夢が帰る場所