雨上がりを待って

一昨日は昼ごろから雨が降っていた。いつも開けている小窓から雨粒が屋根や木々、アスファルトなんかに当たる音、車が水を跳ねる音が聞こえる。この音が耳に心地よく、普段から雨を好ましく思っているくらいではあるが、それでも雨の日に当てもなく散歩をするのはやはり億劫で、いささかの窮屈さを感じつつも、1日中家にこもっていた。

お風呂上がりの深夜0時過ぎ、雨の音が聞こえないことに気付いた。「せっかくお風呂に入ったのに」と理性的な私は言ったが、心に住んでいる悪魔の「この時間なら誰も歩いていないでしょう」という誘いに負けて、寝間着の代わりにコートを手に取った。

アスファルトの乾き具合からすると、雨が上がってから少し時間が経っているようだ。家を出て少しの間そんなことを考えていたが、ふと顔を上げると、すっかり月や星の独壇場となった空や、自動販売機の明かりをきらきらと反射する道路、みんな寝てしまったのかと思うほどの街の静けさに気付く。それと、雨に濡れていつもより澄んだ空気にも。

雨は雲を出ると、空気中のチリやほこりをお供にしながら地面に到達する。雨上がりの空気が普段よりも澄んで心地よく感じるのはそのためだが、この雨上がりの空気はちょっとした幸せすら感じるほどに呼吸がしやすい。やっぱり雨の日は家で過ごし、止んだころに外に出て、雨が連れてきてくれた空気を目一杯楽しむのが1番だ。

今、外では大雨どころか100年に1度の大嵐が吹き荒れている。近いところではまだ雷付きの大雨程度のように思われるが、それでも大嵐の方からは悲鳴が聞こえるし、何かが破壊される音もする。雷付きの大雨ならば外出だってできるが、この外出が大嵐を呼びうる。今近くにいるのは、そんな危険をはらんだ超爆弾低気圧だ。

この嵐が過ぎ去ったあとは、いったいどんな景色になっているのだろうか。すでに無傷ではないし、まだまだ傷は増えるだろう。後遺症だって長引くだろう。それでも、空気中に漂う見えないチリやほこりがこの嵐で洗い流されて、呼吸のしやすい世界になることを期待せずにはいられない。

やはり今は、大嵐明けの新世界を500000000000000000%満喫するために、家の中で自己研鑽を積み、小さなポッドの中に種を播く、そんな雨の日の過ごし方をする時期なのだろう。

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