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他人の誕生日、マジでどうでもいいかも

 YouTubeでチャンネル登録をしているVTuberさんが生配信をやっているということで見に行くと本編はもうすでに終わった後であり、スーパーチャットのお礼雑談タイムに出くわすことがよくある。
 せっかくの推しに想いを届けられる機会だ。さぞかし頑張って推敲したんだろうなぁという文章だったり、もしくは高額スパチャでもあっさりと一言だけのコメントだったり、心にサムライでも飼ってるのか「無言」の人さえいたり内容は様々である。
 そんな中で毎回見かけるのが「今日は私の誕生日なのでお祝いしてください!」というやつ。
 私はあれがどうも苦手でねぇ。
 その手のスパチャが登場する度に心の中で舌打ちをし、すぐさま視聴をやめて他の動画の再生を始める。
 もし自分がVTuber本人だとしたら、お金をいただいている立場にもかかわらずエコー付きで「チッ……!」と舌打ちしてしまうかもしれない。
 うーん、他人の誕生日、マジでどうでもいいかも。
 ただ、私もスーパー冷血人間ではないのでこの世のあまねくすべての誕生日がどうでもいいというわけではない。もちろん親類縁者や友人・知人の誕生日は全力で祝わせていただきますよ。推しのVTuberも全力で祝う対象である。
 また、飲み屋かなんかで他のグループに誕生日の人がいたとき、店内の照明が急に消え巻き込まれる形で全員で「ハッピーバースデー」を歌わなければならないハメに陥ったとしても、その場に居合わせた者の義務として、おあいその拍手をしてあげるくらいの社会性は持ち合わせている(なんなら歌を楽しく歌ったりもする)。
 ここで言う「他人」とは「まったく見知らぬ他人」のことである。インターネット上で、ましてやリアルの場でもおそらく今後二度と関わることがないであろう、まったくの赤の他人。
 そんなめちゃくちゃ他人で、インターネットという公共の場で「誕生日お祝いしてくださいよ~」と言えてしまう人種にはこう言いたい。
 「他人はそこまでアンタに関心ありませんよ」と。
 「誕生日お祝いしてくださいよ~」ってのはどういう意味合いかと言うと、要するに「我を無条件で特別扱いせよ」ということである。
 「誕生日」という一見ハッピーな概念を後ろ盾にし、思う存分チヤホヤしてくださ~いホラホラ早く早くと実に甘ったれたことを言っているのである。そんなに簡単に「チヤホヤ」が手に入らないのはこの世の常。何故それが誕生日というだけで「祝われて当然」というマインドになってしまうのか。
 そもそも「誕生日」がナンボのもんじゃい!という話である。
 昨今の個人主義のいきすぎた尊重なんかが「誕生日」というものの価値を異様に吊り上げているだけで、私にとっては「どこの馬の骨とも知れないそいつが生まれた日」の意味を1ミリも超えるものではない。
 たとえば「他人」でも私にとって利がある人だったら存分に祝いますよ。
 そうだなぁ、全ての万病を治す特効薬を開発した人がいたとしましょう。そして私がその特効薬の恩恵を受けたとしましょう。
 ああ、こんな偉大な人がいたのかと感銘を受け、むせび泣く私。ありがたやありがたや。こんな素晴らしい人がこの世に生まれてくださったことは非常に意義がある → じゃあ誕生日を祝ってあげてもいいでしょう、とようやく祝う心が芽生えてくる。
 そういうことでもない限り、他人(凡人)の誕生日は私にとってはどうでもいい。
 そもそも誕生日の意味合いは小さい子に対して「今日まで健康に生きてくれてありがとう」という親の感謝の気持ちから出発しているのだろうから、基本的には子供のためのイベントである。
 全力で祝ってもらえるのはせいぜい小学生くらいまでじゃないですか? その後はよほどの大病や不幸が無い限りは放っておいてもすくすく育つわけだから「生きてくれてありがとう」という感謝ではどうしてもピントがズレてくる。
 だからそれ以上の年齢の者がいい年こいて「誕生日祝ってくださいよ~」とわざわざ自ら言い出すのは言語道断というか「アンタはもう充分に祝われたでしょ!」であり、そんなことが言うヒマがあったら「他の親しい奴の誕生日を祝う準備でもしておけ!」と申し上げたい。
 ただ、これに関しては社会も悪い。
 確かX(旧Twitter)では自身の誕生日を登録していると謎の色とりどりのバルーンがフワ~ッと登場して「今日はあなたの誕生日ですよ!」ということを強制的に自覚させられる。
 他のSNSとかでもその手のサービスで「今日は誕生日! 今日だけアナタは特別! この世の王!」と囃し立ててくるのだろう。
 しかし、その割には自分が祝われている実感が無いとその当事者は焦る(たとえばリアル知人からLINEでのお祝いが少ない、もしくは0件とか)。
 きょう俺は無条件で祝われてもいい(というのは本来妄想なのだが)筈なのに、全然その実感がない! さみしい! こんな特別の日をむざむざと終わらせるのはあまりにももったいないしむなしい! あっ推しが配信やってる、スパチャ送信!

「誕生日祝ってくださいよ~(500円)」

 一丁毎度あり。
 これが誕生日祝ってくれくれスパチャの悲しき出生の秘密である。
 こんな現実、私も知りたくなかったよ。
 仮に「金を払ってるんだから好きなこと書かせろ!」と主張されたとしても、この世にはやっていいことと悪いことっていうもんがある。結局はそのさもしい根性を私は問題視しているのだから。
 そしてSNSとかの「今日はあなたの誕生日ですよ~」っていうアナウンスは結局「風が吹けば桶屋が儲かる」方式で対象者のテンションを高めておけば勝手にそいつが調子のって金を使って経済を回すだろうという資本主義的発想から来ている気がする。上の例でもスパチャで経済を回しているわけだし。誰かは知らんが向こうも向こうで「誕生日」をカモフラージュにしてアナタの大切なお金を毟り取ろうとしているのですよ。そんなカモとしての現状に甘んじていてよろしいのですか!?
 そしてこのように主張する私は当然ながら自分の誕生日に無頓着である。その日は何の感慨もなくひとつ年を取る日であり、これでまた一歩死に近付いたと思うだけである。私は自分の誕生日が他人にとって無価値であることを重々承知しているから「あ~~今日は誕生日誕生日誕生日祝って祝って祝って!」とわめきちらすことは今後も決して無い。
 これだけ私が誕生日を主張することのむなしさを丁寧に説明しても「でもやっぱり誕生日っていうのは特別な価値があるものだと思っていて……(ブツブツ)」と言ってくる輩には次のお薬を処方してあげましょう。
「人は死ぬときはひとりじゃい! 今からその寂しさに慣れておきましょう」
 本日のドクターの診察はこれで以上です。良い夢を。


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