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コロナ禍の一年を個人的に総括する

4月頭にこの記事を書きたいと思いながらもう10日以上過ぎてしまいました。新型コロナウイルスの感染拡大を契機に環境の変化が起きてからおよそ1年、今このタイミングでこれまでを振り返り、そこから今後の活動指針を得たいと考えました。
(なお、本記事では私の個人的なライフスタイル上のことを述べるものであって、国のコロナ対応がどう、といった大きな視点の事柄には触れません。)

何が起きたか

会社からは、1. 密集回避観点からのオフィス出社回避とリモートワーク推進2. 同様理由からのイベント開催中止とそれに関連して出張禁止(緊急事態宣言時)が指示されました。
プライベートに近い領域では、子供を学童保育に預けられない、(2ヶ月間学校が閉まったということもありましたが、一時的措置でしたのでここではさて置きます)、混雑しそうな街に出かけられない、外食しづらくなった、遠方に旅行できない (しにくくなった)、などがありました。(その他、病院や施設に入院している家族や親族に会えない、といったようなこともあろうかと思いますが私にはそういう関係者はいない。)

1. のリモートワーク推進については、自宅にPCやディスプレイなどの設備・環境を用意し、打ち合わせをZoomなどのオンラインツールで代替することで、だいたいの仕事は継続できました。「だいたいの」と書きましたが、できていないこともあると考えています。これについては後述します。

2. イベント中止と出張禁止について、私の場合はこれまで、学会(研究会やカンファレンス(国際会議)など)社外関係者との打ち合わせ、社内外で開催される技術系イベントなどへ参加していましたが、これらについてはほとんどがオンライン開催・参加に移行しました。物理的に出張することはほぼなくなりました(ここ1年で現場開催のイベントに参加したのは1回だけでした)。各イベントが本来目的としている用事(例えば学会であれば、研究内容を発表し質疑すること)は継続され私もそこに参加してやるべき義務を果たすことは出来ています。一方、イベントに関連するプラスアルファの部分(後述)は全部なくなりました。

プライベート側では、平日、リモートワーク等で家族(私)が自宅にいる場合には学童保育を使えない、使いにくいということになりましたので、およそ15:00頃に子供たちが帰宅してくることになりました。なおこれまで(コロナ前)は、妻・私双方がフルタイムで働いており、妻が帰宅する18:00頃まで学童保育・保育園に行ってもらっていました。
休日の過ごし方はそれほど大きく変化していないのですが、外出の頻度は減りました。

どういう変化が起きたか

定型化・定例化している仕事はできていると思います。一方で、私は研究職として仕事をしており、「新しいことを始めること」が一つの重要な職務です。こういう非定型の業務は非常にやりづらくなりました。具体的には、新たな研究対象を発見し、調査・実験してみることや、考えをまとめたり深めることなどです。

なぜ非定型業務がやりづらいのか。私の場合、ではありますが、次のように考えています。
理由のまず一つは、インプットが減ったことです。社内や打ち合わせの前後での雑談、あるいは、学会などでも会議そのものの前後での挨拶、また懇親会など、いわゆる本題とは別の部分(プラスアルファの部分)で会話などをする機会がたくさんありました。都度の会話でなにか重要な話(仕事を依頼されるなど)があるわけではないのですが、いろいろな情報を貰え、また気づきがあったはずなのです。また、会話はインプットだけではなく、そのやり取りを通じて自分の考えが整理されるという側面もあったと思います。加えて、通勤や出張などで世の中を見て回ることでもインプットが得られていたのだろうと思います。そういったものがなくなりました。

理由のもう一つは、モチベーションの維持が難しくなったことです。前述のインプット自体がモチベーションの源泉の一つであった(外で話を聞いて、それ面白そうだね、ということからやる気が喚起される)ということがありますがそれがなくなった、また、環境的に集中しにくくなったことも、何かをやろう・始めようという気持ちをそいでしまうことになっていると感じています。(自宅というのは静かで集中できそうに思えますが、実は結構うるさいですし割り込みも結構あり、また、子供が帰ってくるとなると全然作業に集中できないものです。)
このモチベーションの維持は、ともすれば自分のやる気の問題、自分に厳しく、といった自分を責める方向に帰着しがちですが、今般の状況は、ある程度贔屓目に見てもやはり環境的に不利になっていることが否定できないと考えています。

インプット不足とモチベーション維持の困難、その結果として、新しいことを始める・非定形業務を実行することは、少々難しくなりました。

起きた変化の二つ目は、ストレスが増し、機嫌が悪くなったこと、また毎日をあまり楽しく感じなくなったことです。上述したような自分にとっての本来業務に相当するものがあまりはかどらないことが当然ストレス要因になりますし、インプットになるというもっともらしい理屈をつけなくても出かけること自体が楽しみだった自分にとって、出かけられなくなったことは単純につらいです。また、「リモートワークになって通勤時間等が減ったことで家族や子供との時間が増えた」といった声も聞きますが私にとっては全く逆に作用していて、子供に掛ける時間が増えてストレス要因になっているようです。(このこと(=子供と接することが楽しみではなくストレスと感じること)自体が、なぜそう出来ないのだろうと感じられて私にとってはストレス要因なのですが、話が逸れるのでそれはさておきます。)

どうしていくべきか

少々余談になりますが、リモートワークを推進しオフィス機能を縮小する、となった時点で、今の状況はある程度予測できていました。
オフィスというものは企業活動にとって必要な機能を実装したものであるのだから、それを縮小(機能カット)するのであれば損なわれた分は何らかの方法で補償する必要があるはずだ、と。

私にとって損なわれたものとは、インプットの機会であり非定型業務を集中して考えることのできる環境であったわけです。そして率直に言ってしまえば、現状の自宅勤務スタイルはこれらを補償することはできていないのです。
(無論、人によって得るもの失うものは異なるはずで、リモートワークがうまくハマる人もいると思います。あくまで私の場合は、ということです。)

さて、うまくいってないところを正していく方策を採るべきなわけです。

具体的にまず一つは、インプットを増やすことです。雑談的なものを積極的に(強制的にでも?)増やしていく必要があると考えています。都度の機会において具体的な効用がなかった/感じられなかったとしても、それが与える良い影響は無視できないはずです。

次にもう一つ、積極的に外出するようにしたほうがいいかなとも考えています。これまで学会への参加などは、発表する場合のみ、というような費用対効果を考えた自主ルールを置いていましたが、人が集まることの価値を積極的に評価してそこへの参加を増やしていくことが、全体としての効率改善につながるのではないかと思い始めています。

(学会といえば、もうすべてのイベントはオンライン開催でいいのではないか、集まることの意味を正当化出来ないのではないか、と当初私自身考えていたのですが、集まることに意味があると考えざるを得ないと思うようになりました。)

ただし外出の可否はコロナウイルスの感染状況(つまりは外部環境)に依存し自分の考えだけではどうにもならない側面があるため、外出を増やそうという方針の上で実際には状況に応じて対応していく、ということになろうかと思います。

どうしていくべきかの最後の一つは、現状を割り切って捉え、考え方を変える、です。不機嫌でイライラするのは物事が自分の思い通りにいかないからですが、それは「現状が一時的なものでいずれはもとに戻る」ということを暗黙の前提にしている(そして状況が戻っていないからイライラする)のではないかと考えています。
しかし、もう状況は不可逆に変化し、元のとおりには戻らないでしょう。それを受け入れて新たな状態にシフトすべきでしょう。私事として言えば、家族との時間が増えたことを受け入れるべきではないかと思っています。そしてそのためには公私の区切りをきっちりつけるということが必要かなと思っています。子供に対応しなければならない時に仕事をしようとする/しなければならない、それなのに出来ない、ということがストレスなので、子供との時間は受け入れざるを得ない(仕事の時間は減る)、として対応したほうがいいのではないかということです。

さいごに

コロナウイルスの感染状況はこの1年(2020年)変化し続け、社会も変化し続けてきました。おそらく2021年も変化し続けるでしょう。それに対して、まだ状況が落ち着いていないので様子見で、ということにはしないで(そうしてきた1年だった)、一度状況を受け入れて新しい体制を作っていったほうがいいのではないかと考えました。
結論として、外との接点を増やしつつ、割り切ってやっていく、ということで対応していきたいと思います。では今年(2021年度)も頑張っていきましょう。よろしくお願いいたします。


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