自己紹介(note初投稿)①
◉プロフィール
1967年(未年)生まれの天秤座♎️
自営業(クリーニング)の傍ら㈫㈮と週二回地元の剣道教室の指導に携わり、自らも目標を持ち剣道の稽古に励んでいます。
屋号の幾久屋と店のキャラクターの象さんで、「きくぞう」と言う名前で出ています。なので漢字で書けば「幾久象」なんですよ😉
幾久(いくひさ)しく繋がりたいと言う意味が含まれています。
剣道歴は46年を過ぎました(2023現在)
小学3年生の時、自宅近くの警察署道場で第一期生の募集があり、近所のおばさんのすすめで剣道を始めました。実は3つ上の兄が鳥取市の格式と伝統がある道場で既に剣道をしていたのですが、親について行った送迎時に見た光景が、低学年の私には衝撃的過ぎて忘れられませんでした。
数回稽古を休んだ兄と兄の親友が、玄関で仁王立ちのT先生に蹴り飛ばされていたんです。昭和40年代〜50年代当時はまだ、戦争を体験された先生がご健在で、言い訳が聞いてもらえる様な甘さは許されない時代でした。
当時は、太田義人範士9段、山根幸恵範士8段もご健在で剣道の伝承にご尽力され門下生も賑やかでした。
◉私と剣道
そんな中、歩いていける範囲で剣道教室が始まると聞いて、「あの道場より厳しくないだろ、三年生でも一番自分が高学年出し楽勝じゃね」と思い友人と二人で入会。
道場の扉を開けて「よろしくお願いします」と挨拶したのを今でもはっきりと覚えています。同時に剣道具の匂いだったのか扉を開けた時の道場の匂いも印象に残っています。
ただ後で知ったのですが、後の恩師となる警察官の道場のM先生は、兄が通っていた道場の門下生で、そちらの道場でも指導者だったんですよね。
何はともあれ、これが私の剣道の始まりでした。
警察道場での稽古も決して楽ではありませんでしたが、中学では剣道部がなかったために、バスケ部に所属しながらを卒業するまで通い続けました。
高校では剣道部が忙しく道場にはなかなか通えませんでしたが
私にとっては基礎を叩き込まれた大切な場所となりました。
高校時代は中国5県の大会に県代表として個人戦に出て2回戦敗退が最高でした。
継続だけは誇れますがこの様に輝かしい成績もなく、今思うと「よく頑張ってたな」と思います。この時、同級生の剣道センスのいい友人達は高校入学までに殆どが辞めていきました。
この後、数年県外に出ていたため素振り中心の年月が流れ剣道から一瞬離れそうになりますが、帰省後に出身道場の先生より、「指導のサポートをしてくれないか?」とお誘いがあり、断る理由がなかったために、自分の剣道の再開と同時に、指導の勉強も始まりました。
若くして指導のお手伝いをするわけですから、自らの鍛錬は欠かせないという事で、あれだけ怖くて「絶対にここでは剣道なんてしない」と思っていた隣町の、兄が通っていた道場の門を叩きました。
最後にまさかのオチでしたが、本当に不思議な縁です。
現在は、自宅近所の警察署道場は、警察官の指導者がいない為、私が独立して受け継いでいます。
まさか、剣道をこの年(55歳)まで続けていようとは…。当時のきくぞう君は思ってもなかったでしょうね。
◉継続力
自分の中では「継続力」だけは誰にも負けないと自負しています。
不思議なもので、当時は、雲の上の存在だった同級生や、先輩にも、今や当時ほど離されていないと感じるんですよね。
「継続」って経験値や実力を上げ、自信に繋げる事が出来るんですよね。この辺りの事は、いくら語っても語り尽くせないので、次回以降にも書かせてください。
◉SNSと剣道
昨年は、TwitterやYouTubeを通して沢山の剣友との交流が出来ましたし、剣道の聖地と言われる京都武徳殿での全日本剣道演武大会にも初参加出来た有意義な年となりました。Twitter剣道の仲間やYouTubeチャンネルの視聴者さんとの鳥取で稽古会をして、親睦を深められたのは楽しかったです。今年度も昨年に負けないくらいの充実した年にしたいと思います。
今回はnote初投稿という事で自己紹介させていただきました。
不定期に投稿しますので、よろしくお願いいたします。
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