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「会いたい」と言う勇気

友達を誘うのが、苦手。
ずっとそうだった。
でも、私には誘ってくれる人がいる。
それに気付いた時、私も友達を誘えるような人になりたいと思った。

なぜ苦手なのか。
私にとっては『友達』のあの子は、私に会いたくないかもしれない、という気持ちがあるから。

でも、そういう思い込みをなくして、誘ってみた。
『友達』は快く予定を私にくれた。
とても楽しい1日が過ごせた。

そうこうしているうちに、どちらが誘ったかなんて、とても些細なことだと気がつくようになった。
でも、できたら向こうから誘われて、私もまた会いたいならば、勇気を出して誘うべきだ、と思うようになった。

受け身のままで「寂しい」というのは、乱暴な言葉を使えば傲慢だ。
勇気を、勇気を持たなくては。


今日、私から友達を誘って、出かけた。
写真を撮ってもらいたい、と言った。
ご飯を食べ、歩き、喋り、写真を撮られ、喋り、喋った。
あぁ、なんて楽しい時間なのだろう。
帰りには悩んでいるまゆ毛の書き方についてもたくさん相談をした。
それ以外の話も。

彼女の話を聞き、私も喋り、お互いの存在のありがたさについて語る。
私は人を誘うのが苦手だ、という話をした時、彼女は穏やかな顔をしていた。

「こういう真面目な話ができて、その上で一緒にふざけられる。笑い合うだけじゃない友達のあんたは、うちにとっては大事よ」

私は心底ホッとした。

げへへへ、という笑い声をあげた。
ふざけて、ごまかす。

でも、本当に嬉しかった。


そのあと、眉毛が描けない、化粧が苦手だ、という弱音を吐いて、デパートの化粧品売り場も付き合ってもらった。
別れ際、改札を前に交わした言葉。

「まぁ、眉毛はうちもずいぶん悩んだけん。大丈夫よ」
「次にはもっと眉毛上手く描けるようになるし、自撮りも上手くなっとくわ」


私はすんなりと「次」を口にした。
社交辞令じゃないと確信している「またね」。

この安心感に、慣れたい。
でも、慣れきってしまってぞんざいな扱いはしてはいけない。

一人電車の中で、『彼女』へのラインの返信を見ながら、思った。


お前はもっとできると、教えてください。