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大学に行く意味

僕は、特に決まった「やりたい事」を持っていない。自分自身で、言語を学ぶ事が好きだという事を何となく理解していても、それを仕事にしたいと強く願うまででは無かった。

「やりたいこと」を探す難しさ

将来の夢を考える事は高校時代から一番の難問であったと思う。実際に大学の志望校を決める時も、「やりたい事」を無理矢理に考えた為にそれが二転三転して、担任の先生に叱られたのを今でも覚えている。当時、そんな早くやりたい事が見つかるものなのかと捻くれた。その悩みも今となっては過去のことだ...と胸を張って言いたいところだが、案の定そう簡単に解ける問題ではなくて、未だに自分の将来の夢は決まっていない。
しかし嬉しいことに、最近になって「やっていて楽しい事」が1つ見つけられた。

それは何か。
本を読むことだ。
高校に通っている時も本を読むことは嫌いでは無かったが、好いてもいなかった。恥ずかしながら、高校時代にきちんと最後まで読破した本はせいぜい3冊くらいだった。なぜ大学に入った途端、読書をするようになったのか。そのきっかけの一つとしては、日本語独自の凄みを、他言語を学ぶ上で知ったことということが挙げられる。(自分が思う日本語の凄さは、のちに別の記事で書こうと思う)
そしてもう一つのきっかけは、大学というものが、自由な時間を、自分の好きなように使える場所だということだ。

大学に通うことのメリット

大学に通う意味を調べたことがある。
自分のスキルを伸ばし、就職を有利にするため。様々な個性や知識を持つ人と出会い、幅広い人脈を手に入れるため。大学の資源を活用し、自分の学びたい学問を深く追求するため...など
これらはもっともで有り、大学に通うメリットとして外せないものだろう。
しかしその中には、このようなメリットも書かれていた。

「自分のしたいことや、していて楽しいことを見つけるため」


僕はこの一文に、はっとさせられた。
自分の夢を見つけるために大学に通うというのは広く知られているが、「していて楽しいことを見つけるため」という部分に、妙にしっくり来るものがあった。
思えば、僕は「就職する」ということに縛られ過ぎていたのではないかと思う。
確かに就職のことを考えて大学の生活を有意義に送ることは必須だが、そればかりではない。大学生というのは人生の中でも、比較的自由な時間が多い時期と言われている。その時間を、自分のしていて楽しいことを見つけるために割くのも必要なことなのだと気付かされた。

高校と大学の違い

前述しているように、大学は高校と比べると自由な時間が多い。私は高校時代は陸上部に所属していたので、学校が終わった後もすぐに練習場に向かい夜遅くまで練習する生活をしていて、特に自由な時間が少なかった。そのせいか、自分の好きなことは「走ること」「言語を学ぶこと」など学校生活で経験すること以外にはあまり見つけられずにいた。しかし大学に入って自由な時間を手にした時、本を読むことに時間を割くことで、自分の好きなことをまた新しく発見できた。
自分の趣味を発見できたことはとても嬉しい。自分のやっていて楽しいことを見つけるということは、同時に自分自身をより深く知ることでもあるからだ。

この記事で私が言いたいこと

別に読書が楽しいからといって、小説家になりたいだとか、翻訳家になりたいだとか、具体的な将来の夢が決まったわけではない。しかし、大学は一つの「自分自身を研究する場」であるということに気がつけた。
忙しいと、目の前のことに精一杯になって自分の研究には手がつかなくなる。
大学のうちに自分のしていて楽しいことを見つけることは、その先の人生そのものを豊かにすることに繋がると思うのだ。
高校を卒業してそのまま就職すると、もしかしたらこの本を読む楽しみもしばらく知ることができなかったかもしれない。
もしかしたらこれから発見する自分の「していて楽しいこと」が「将来の夢」に発展することもあるかもしれない。

自分を知るために大学に通うのもアリなのではないかと、私は思った。


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