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若い時の辛労、買うてもせよっ。立て茂雄、ホレ、お前の足はそのためについとるんだよ。


今日の実習は、以前訪れたAbenteuerspielplatzで行った。


保育時間は短縮で、8時から12時30分まで。その後に、先生同士だけで軽いミーティングがあった。

参加者は、園長先生の女性F、上司のフローリアン、自分(この3名が同じグループ)、女性L1、女性L2(この2名が同じグループ)だった。

最初に慣らし保育の子どもについて軽く話して、今後の新入園の子ども達の情報をまとめた後に、議論が白熱した。

口火を切ったのは、園長先生の女性Fだった。会話の内容を自分が完全に理解できたという訳ではないが、理解できた部分から推測するに、主張としては、情報の伝達がうまくいっていないということだった。

園長先生という立場の女性Fには日々色んなメールや手紙が手元に届き、それを処理するのは人並み外れた労力を要する。保育をしている間でも、頭の片隅で返信について考えなければならないし、プライベートの時間には仕事として返信作業をしないといけない。

しかも今の時期は、新入園する子ども達がいたり、その親達と話し合いをしないといけないので、負担がかなり増加している。女性L1が補助的な感じで情報の処理を任せられているみたいなのだが、女性L1からある件について連絡が来なかった為に、女性Fは判断を下すことが出来ずに、ストレスを溜めていたらしい。

女性L1も反論していたが、女性Fと共に互いの愚痴を言い合う形になった気がする。そこでフローリアンが出てきて、「解決策を見つけよう。女性Fと女性L1が同じアカウントを使えば、互いに情報を共有できるんじゃない?」と提案したが、女性Fは園長先生という立場だから扱える情報があるので、一緒にするのは難しいとの意見。で、そのまま平行線に流れていき、次のテーマに移った。

話は逸れるが、結構チームバランス的には良い感じかなと思っている。チーム会議をする時に、女性の先生が言いたいことをドバっとしゃべった後に、フローリアンが、「じゃあ、解決策としては~」みたいにまとめるのがお決まりのパターンだなと思ってる。女性の先生は言いたいことを吐き出せるし、吐き出した後に、問題解決の提案をフローリアンがしてくれるので、建設的な議論になる。

次に移ったテーマが、「子どもへの接し方」についてだった。これは、女性Fとフローリアンから発せられたもので、「女性L1と女性L2の子ども達への接し方が優しすぎるのではないか」みたいなことだった。

仕事をする時は、いつも8時30頃になると大人同士だけで集まり、今日1日の計画を決める時間がある。その時は、子ども達が自分達で遊んでいるわけだが、泣いた子どもがいたり、手助けを必要とする子どもがいたりすると、女性L1とL2は話し合いの途中でも、その子どもの対応に行ってしまうことが結構多くあった。

一方、女性Fとフローリアンは子どもの自立を第1に考えているので、女性L1と女性L2には直ぐに子ども達に対応するのではなくて、「どうしてその子は泣いているのか?」、「子ども達同士で解決させることはできないか?」、「本当に今対応しなければならないのか?」を考えて欲しいとのことだった。

ただでさえ、新入園児が続々と増えているので、1日の流れをしっかり作っていかないといけないフェーズだし、各先生の対応にバラつきがあれば子ども達も困るから、ある程度は統一しておいた方が良いとの見解だった。

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以下は個人的な意見☟

①まず、今回の会議は、女性Fとフローリアンのストレスを吐き出す為のモノだったなと感じた。会議が終わった後に、女性L1とL2は少し部屋に残って色々と考えたいとのことだったので、女性Fとフローリアンと自分が先に出る形となった。そしたら、2人は結構スッキリしたみたいな表情になってた…笑

②個人的には、女性L1とL2のような先生がいても良いとは思う。というか、子どもが泣いたりした時に、直ぐに大人が駆けつけると、子どもは安心感を持てて、それによって自立に繋がるとのことなので、女性L1とL2が子ども達の自立を妨げているとは思っていない。


③最終的に先生が目指す場所は、「子どもの自立」だよなと思った。教育の目的は「子どもを自立させること」だなと思った。子どもに対して行う自分の行為が、全てその子に対しての自立に繋がれば良いなと思った。


そのようなことを思った時に、自分が思い出したのは、自分が一番大好きな漫画である「花男」の一場面である。


花男の第2巻にその場面はある。主人公の茂雄が、お母さんと一緒に公園に行った時のこと。その公園は、茂雄が小さい頃にお母さんとお父さんと一緒に来たことがある場所だった。茂雄がお母さんと話をしていると、茂雄の隣で、ある子どもがこけてしまう。その時に、茂雄はお父さんの言葉を思い出す。


最初はお母さんが、転んだ茂雄を心配して手を貸そうとするが、それをお父さんである花男は「手を貸しちゃダメだよ。花織さん。」と制止するのである。続けて、「若い時の苦労、買うてもせよっ。立て茂雄、ホレ、お前の足はそのためについとるんだよ。」と茂雄に言う。

このシーンは結構痺れる…!


もしかしたら、女性Fとフローリアンの視点からは、女性L1とL2は「花織」のように見えていたのかもしれない。

自分も実習当初は「花織」みたいな行動をすることが多かったと思う。「子どもが困っているから助けよう」という気持ちだったのだが、その考えには、ある1つの視点が欠けていたことを、今の自分なら気付く。

それは、「その子は自立出来る能力を持っていること」を教えてなかったことである。


この場面にかこつければ、転んだ子供に対して、「お前は足が付いていて、自分一人で立つことが出来るんだぞ!」ということを教えてなかったと思う。

それは今になって振り返ると、あんまし良くないなと思う。

転んだ子供の足が酷く怪我をしていれば、コチラが手を貸すのは当たり前だが、自分の足で立てれるような感じであるならば、「お前には立つ能力が備わっているんだよ」と教えて、自立を促すのが良い感じなのかなと思う。

例えば、モノを探している子どもに対しても、探すのを手伝ってあげるんじゃなくて、「お前には周りを見る為の目が付いている。目に見える場所を全部探したか?」と教えて、子どもが全部の場所を探しても見つからなかった時に初めて、大人が手を貸すのが良い順番だと思う。

子どもが持っている能力を全部使わせて、万策尽きた後に、子ども達に手を貸したいと思う。万策尽きる前に頼ってきた場合は、「お前にはまだこんなことが出来るんだよ!」と教えて、自分で成し遂げる方向に持っていきたいと思う。

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蛇足ではあるが、エマが登園してきた時に、ちょっとした事件が起きた。エマと自分が話をしていた時に、自分がいつもと違うバックをエマが持っていることに気付いた。虎の顔がリュックの背中にプリントされていて、全体がトラ柄になっているバックだった。

「このバックは何なん?」と質問すると、『私のお人形を入れて持ってきた』とのことだったので、「どんな人形?見せて!」と言って、エマがバックの中身を出した。すると、人形が入っていなかった。

『あれ、おかしいな』と言って、リュックサックも確認したのだが、そこにも入ってなかった。『お人形を失くしちゃったかも…』と悲しげな表情を浮かべたので、「ちょい待って、自分も確認してみるわ」と言い、バックとリュックの中を見たが、見つからなかった。

「もしかしたら、家に忘れたんじゃない?それか、送迎の時に乗っていた自転車の中とか?」

前の空間に子どもを入れることが出来る


と言ったら、『朝に私がこのバックを準備したし、その時に絶対にバックの中に入れた。私、お人形失くしちゃった…』と答えたので、「どうしたもんかね…」と自分がつぶやいたところで、エマの顔がくしゃくしゃになって、泣き出したのである。

エマが泣いたのを見たのは、エマが入園してきて今まで半年経つが、初めてである。なのでメチャクチャ驚いた。こけたりしても、全然泣かない感じだったので、これはおおごとだと思って、直ぐにフローリアンを呼んだ。で、状況を説明したら、フローリアンがもう一度、バックとリュックを確認。見つからなかった。エマが泣き止まないので、女性Fにエマの親に電話をしてもらうことに。

そしたら、送迎の時に使った自転車の中にお人形があったらしく、それを聞いてエマが泣き止んだ。

この事件に関して、「自立」とかこつけるのであれば、エマはあんまり泣かないので、泣いたということは、一つの自立かなと思う。他人に助けを求めれたというか、自分の感情を出せたということで。あと、泣く前に自分でバックやリュックの中を探したのも良かったかなと思う。

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蛇足も蛇足だが、「若い時の辛労、買うてもせよっ。」って今どき流行らないんですかね?笑

【意味】

若いときの苦労は自分を鍛えてくれて将来役立つ貴重な経験が出来ることから、自から求めてしたほうがよいということ。また、ほかの人が辛いと思うこと事、嫌がることを進んでやることで自らを錬磨(れんま)できるという意味です。

https://proverb-encyclopedia.com/wakaitoki/


一応自分はミレニアル世代(概ね1981年から2000年生まれ)に該当するんですけど、この言葉はその通りだなと思いますね。何事も経験ってことですかね。

「石の上にも3年」はウソだと思ってます。対象に対して、才能だったり、好奇心が無い場合は、それに固執するのは時間の無駄な気がします。そういう場合は、新たな場所を探し求めるのが良いと思う。置かれた場所で咲く必要は無い。


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