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冬の朝

ベーコンの焼ける匂い。
キッチンに響きわたる油の跳ねる音。
おさえたボリュームで流れるラジオ。
窓の向こうには水を抜いたプールみたいな青空が広がっている。
かき混ぜた卵にミルクを混ぜ、
十分に温めたフライパンに勢いよく流しこむ。
ジューッと焼ける卵の香ばしい匂い。
ぼくはコーヒーを2つ用意する。
ひとつはぼくに、ひとつは妻に。
そうだ、こんな天気のいい日には動物園に行こう。
キリンやゴリラやゾウを見に行こう。
塩とコショウを振る。火を止める。
お皿をテーブルに並べる。

寝室のドアを開けると、部屋はまだ夜明け前みたいに暗い。
ベッドでは妻がまだ布団を頭までかぶっている。
横向きで、背中を向けて
肩を小刻みに震わせながら彼女は静かに泣いていた。
破裂しそうな声を押し殺すように
静かに静かに泣いている。

ぼくはドアをそっと閉じる。
キッチンに戻り、空いた椅子の片方に座る。
もう一度立ち上がり冷蔵庫から
オレンジジュースを取り出してコップに注ぐ。
口に含むと爽やかな酸味が口いっぱいに広がる。
胸の奥はシンと静まりかえっている。
世の中の音はすべてそこに吸い込まれてしまうような気がする。
窓から空を見上げると飛行機雲がまっすぐ垂直にのびている。
細い細い、蜘蛛の糸のような細い雲が
まっすぐのびている。

*****

聞耳である。ロンドンは長い長い冬がようやく明けようとしている。街はイースターで観光客であふれてにぎにぎしい。ビジネス街は嘘のように人がいない。わたしも今日ばかりは本を閉じ、外へ出て何かきらきらするものを探しに出かけたい。

聞耳牡丹

#詩 #散文詩

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