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聞耳である。今日は朝から珍しく青空が広がり、以前から行ってみたかったロンドン漱石博物館 (http://soseki.intlcafe.info/) を訪れた。夏目漱石はロンドンに1900年から約2年間滞在し、大学の授業や個人講義を受けながら執筆活動を続けた。絶えず続く金銭不足、孤独感、重責などから帰国の三ヶ月ほど前になると強度の神経衰弱に陥り、漱石の異常さに気づいた友人が文部省へ「夏目狂セリ」と伝聞を打つほどだったそうだ。

後年になって「ロンドンに住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。」と書き残した漱石にとって、留学生活は相当に苦しいものだったようだ。当時の使用人が真っ暗な部屋でノートを前に涙を流す漱石を目撃した、という記録も残っていた。では実際漱石は何に一番思い悩んでいたのだろうか?

その手がかりは漱石が滞在中に好きな作家の一人としてあげているロバート・ルイス・スティーヴンソンの作品に見つけられるかもしれない。「西洋ではスチヴンソンの文が一番好きだ。力があって、簡潔で、クドクドしいところがない、女々しいところがない。」と評したスティーブンソンの作品は、日本では「ジキル博士とハイド氏」などがよく知られており、詩もまた大正期より多くの翻訳本が出版されている。今日紹介するのはそのなかでも有名な作品のひとつである。

Travel

I should like to rise and go
Where the golden apples grow –
Where below another sky
Parrot islands anchored lie,
And, watched by cockatoos and goats,
Lonely Crusoes building boats; -
Where in sunshine reaching out
Eastern cities, miles about,
Are with mosque and minaret
Among sandy gardens set,
And the rich goods from near and far
Hang for sale in the bazaar; -
Where the Great Wall round China goes,
And on one side the desert blows,
And with the voice and bell and drum,
Cities on the other hum, -

*****

行ってみたいな彼の国へ
金の林檎のなる土地へ
見たこともない空のした
ぎらぎらオウムが暮らす島
インコとヤギに見守られ
ひとりクルーソー船づくり
太陽のぼる果ての果て
東のまちの先の先
イスラム教の寺や塔
白砂造りの庭や荘
取り集められた品物が
売りに出される蚤の市
チャイナを囲む万里の長城
一方では砂塵が舞い
もう一方では鐘が鳴り
街の人々の歓声に包まれている

ロバート・ルイス・スティーヴンソンの無駄のない筆致は、空想的な内容とは裏腹にたしかに具体的で力強い。エジンバラ大学の土木工学科に入学後、法科に転じて弁護士の資格を取得するほどの才子だったスティーブンソンの文体は、当時の漱石には衝撃的だったようだ。実際に近代の英国では、ケンブリッジやオックスフォード大学の教授が小説や詩を出版することは少なくなく、当時決して社会的地位の高くなかった日本の小説家や詩人と比較すると、内容・文体において雲泥の差を感じたのかも知れない。漱石は在英一年が過ぎる頃に「文学とは何か」という思いにとらわれる。「ここにおいて根本的に文学とは如何なるものといへる問題を解決せんと決心したり。同時に余る一年を挙げてこの問題の研究の第一期に利用せんとの念を生じたり」これは漱石が実際に日記に書き残した言葉である。

「文学とは何か」壮大なテーマである。壮大すぎて、さすがの漱石でも神経をやられてしまったらしい。わたしも詩とは何かと思い巡らせることはあっても、その輪郭に触れることは決してできず、遠くからぼーっと眺めるだけである。あまり近づいては底なし沼のように飲み込まれて出てこれなくなる。特に暗い冬には安易に触れてはならない。難しいことばかり考えていると息が詰まって涙が出る。漱石博物館の訪問はそんなことを教えてくれた。

聞耳牡丹

#詩 #散文詩

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