記事一覧
栃木はコロナが落ち着いてきたか。
今日は1月31日。そして、明日からは2月。
さて。栃木県にも緊急事態宣言がでて久しいのですが、感染者数は落ち着いてきています。
もっとも、ここで気を緩めたら年末年始のように感染者数の急増という結果になる可能性もあるので、感染予防には引き続き気を付けていきたいところです。
今年は、教会の行事も予定がまったくたちませんね。今日も教会会議で本年の活動計画についても決めたのですが、実質予定が立てられ
今こそ、真の意味でのブレイクスルー。という考え方もありかもよ。
昨年から続いている、そして、終わりの見えない状態がいまだ続いているコロナ禍。それは、教会の礼拝にも大きな影響を与え続けています。
感染者数が増加するたびに、非常事態宣言が出るたびに、集まっての礼拝を継続するか否かで議論になり、Live配信の在り方や方法で四苦八苦する。そんな声をよく耳にします。そして、最終的には「一日も早く、元通りに礼拝をすることができるように」という、心からの訴えを聞くにつけ、
「偶像崇拝」について思うところ。
「偶像崇拝」
単純なようで、非常に難しいと感じる、この言葉。
もともとは、「神ではないものを神とする」というところから発するわけで、でもその意味合いは、「たとえ聖書の神であっても、ヤーウェは形にできる存在ではないから、それを形にしてはならない」という、どちらかというと「神として奉るための像」を作ってはいけないという、コミュニティとして取り決めという印象が強い。
ところがどっこい、この「偶像を
想像してみてください。。。
「想像してみてください」
ずいぶん前に剛力彩芽さんが主演でテレビドラマ化された「ビブリア古書堂の事件手帖」で、主人公がよく言う言葉。テレビ版は原作と雰囲気が違うとか、いろいろ言われてそちらが話題になったドラマですが、私はこれはこれで好きです。(もちろん、原作も全部読んでおります)
「想像する」
これは、とても大切なことだと思います。とくに、基本的に文字だけ、しかも断片的な文字情報が多いSNS
2021年の年頭所感
年が明けて2021年の元日。元旦礼拝も終えて午後には少しのんびりする時間ができた。
さて、今年はどんな年になるか。おそらく今年も、感染予防をしながらの活動が続くことは予想できる。といっても、行動することに対して消極的になることもどんなものかと思う。なので、できることを前向きにどんどんやっていこう!
昨年は、やらざるを得ない状況で始めたことが多々あった。そして、それはとてもいい経験になった。なら
2020年最後の日に思うこと
はやいもので、今日で2020年もおしまい。明日には2021年が始まります。
今年は、コロナウイルスの感染拡大によって教会も無会衆礼拝をする必要があったり、それにともない礼拝のネット配信を取り急ぎ行なう必要にせまられたり。思ってもみない一年となりました。しかし、私にとっては「やろう、やろう」と思っていながらずっとできなかった教会活動のネット配信やyoutubuチャンネルの開設などは、このことがきっ
ルカ24:46からの一考察
ルカによる福音書24章46節には、復活後のイエスが語った言葉「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。。。。」という旧約からの引用という体裁で書かれた言葉が記されています。
ですが、旧約にはそのまんまの言葉はないんですね。イザヤ書やホセア書などから断片的にとってきて、またその言葉を言い換えて表現したりするわけで、「旧約聖書に書いてある!」と言いつつも、かなり乱暴なようにも見える。。。
サピエンス全史からの創世記
みなさん、もう読んだことはありますか?「サピエンス全史」
サピエンス全史における人類の三つの革命。認知革命と農業革命、そして科学革命。この中で農業革命が紀元前1万年ころから、前3500年ころの間に確立していったと言われています。
旧約聖書の創世記において「すべての生き物を支配せよ」と記されているわけですが、その前提に、狩猟採集生活から農業・牧畜といった食料をコントロールする生活へと人間の生き方
ジェンダーの視点で読む聖書
最近、zoomの読書会で読み始めた本。
齢を重ねたせいか、それぞれの立場にともに立つことの大切さを感じることが多い。
かつて、フェミニスト神学というと、聖書に無理やり「女性の視点」を読み込もうとしているのではと感じることもあったが、むしろ聖書が「男性の視点」で書かれたものを「男性の視点」で解釈されてきた歴史にも偏りがすでに生じているわけで、そういう意味では偏りを戻すための視点とも言えなくもない。
Twitterは、実はすごいツールかもしれない
実は、Twitterのアカウント自体は随分前に取得していたんですが、長年ウォッチャーとしてしか使っていませんでした。
自分で情報を発信するようになったのは今年に入ってからのこと。そして、そこで気づかされることも沢山あったので、それをまとめてみたいと思いました。
そもそも、Twitterは、双方向的な交流を担保するものではありません。どちらかというと、個人がい言いたいことを呟くというのが、本来の
岡田尊司「マインド・コントロール」読了
最近、カルトや洗脳というものについて考えさせられることが多く、再度自分の中でまとめ直す必要がある妥当と思い、ひとまず手にとった本。岡田尊司氏が2012年に単行本として発行した「マインドコントロール」。その後増補改訂されて新書サイズで2016年に発行されたものを読んでみました。
そもそもというところでは、2012年の単行本では一度読んでいるのですが、すでに5年以上前で、内容も読み直さないと思い出せ
「伝道」について黙想してみた
「伝道」という言葉について、少し思い巡らせてみた。
現時点での自分の答えは、「クリスチャンとして生きる」ということを、どう表現するか、ではないかと思う。
いわゆる営業職のように「キリストの福音を伝える(売り込む)」ことが、一番オーソドクスに考えられている伝道なのかもしれません。
しかし、多くの地方教会は、なかなかそれでは、地域の人達の心の壁を取ることはむずかしく、むしろ心の壁を築くことにすらなっ
「経済か感染予防か」答えは出せない
「新型のウイルスによる感染症の報告が中国ででたらしい」というニュースが、他のニュースに混じって片隅にみられるようになったのが2019年の年末。それから3カ月くらいたつか。いまや世界中でこの新型のウイルス、COVID2019と命名された新型コロナウイルスによる感染症は、世界中のトップニュースを席巻している。
この感染症に対する各国の感染予防対策が、結果的に経済活動を阻害するものにもつながり、202
教会にも各教会のカラーがある。で、うちの教会は!?
ツイッター界隈でよく見かけるのが、自分の好みに合わない教会に対する批判。こんな礼拝形式はダメだとか、こんな教会プログラムはあかんとか。
でも、教会のカラーって、教会それぞれ。
教派によっても、教団によっても違います。
同じ教団であっても、教会によって違うということも、よくあることです。
で。うちの教会は。。。
ゆるーい教会でありたいですね。
もちろん神様を礼拝するために教会は存在しているん
看護観に関する一考察
最近、Twitterでわたしのフォローしている方たちが、看護観について話題になっていて、楽しく読ませていただいている。
正直、看護観というのは日々の業務に直結するわけではないし、具体的な看護技術にくらべて、「こういうときは、こうである」というような一本道の答えがあるわけでもない。
ですが、かといって看過できないのが看護観なのではないだろうかと、わたしは感じている次第です。
そもそも看護観とはな